百年前新聞

2018-04-26

百年前新聞とは?

1915年(大正4年)の十大ニュース

大正4年12月29日


大正四年も終わりに近づいてきましたので、現在の新聞のように、大正四年(1915年)の十大ニュースを選んでみました。

海外

海外はほとんど第一次世界大戦に関する出来事です。
第一次世界大戦としてしまうと一行で終わってしまうので、もう一つ下のレベルにおとしています。

第10位: アメリカが英仏政府に5億ドルの借款

9月25日の出来事です。

アメリカは当時中立国でしたが、歴史的にイギリスと関係が深いため、イギリス寄りの中立です。

イギリス・フランスのために戦争資金の協力をするのは当たり前のような気もしますが、

・ドイツが勝ってしまうと、このお金が返ってこない可能性がある

ということから、後年、アメリカの資本家が戦争への参加を後押しする原因になります。

また、このお金の回収のために、講和条約でドイツに多額の賠償金を課す原因にもなっていますので、10位にランクインしました。

第9位 イタリアの参戦

5月23日の出来事です。

第一次世界大戦の勃発以来、日和見を続けていたイタリアですが、「未回収のイタリア」(トリエステなど)をオーストリアから獲得するため、第一次世界大戦に参戦します。

が、オーストリアと悲惨な殺戮を繰り返したというだけで、実際にはそこまで大きく戦局に影響を与えるには至っていません。(例:第二次イゾンツォの戦い

第8位: ルシタニア号の撃沈


攻撃を受けるルシタニア号(ウィキぺディアより)

5月7日の出来事です。

ドイツの無制限潜水艦作戦(敵国に関係する船舶は、無警告で攻撃する)により、客船も攻撃の対象となり、乗客1198名が亡くなりました。

その内、アメリカ人が128名おり、アメリカの世論がドイツ非難に大きく傾いていくきっかけになっています。

第7位: ダーダネルス海峡戦


スブラ湾の戦い

2月19日から1916年の1月9日まで行なわれた、地中海と国会を結ぶダーダネルス海峡で行なわれた、イギリス・フランス連合軍と、オスマントルコ軍の戦いです。

この戦いは、トルコの首都イスタンブールを陥落させること、西側からの輸入が不可能となっているロシアの貿易通路を確保すること、中立を保つバルカン諸国に圧力を与えること、などを目的に、若き日のチャーチル(当時は海軍大臣)が主唱して始まりました。

実際に戦争が始まると、ダーダネルス海峡は機雷で封鎖され軍艦は入れず、英仏連合軍は丘陵の海岸からの上陸で、大苦戦を強いられます。

トルコ軍も勇戦し、この戦いの指揮者ムスタファ・ケマル(後のトルコ初代大統領)は一躍トルコの英雄となりました。

英仏連合軍は、4万人以上の死者を出し、成果無く撤退しています。

(関連記事:8月9日ほか、ヘンリー・モーズリー死去ビリー・シンに謝状

第6位: 金の輸出禁止

7月3日のフランスを皮切りに、オーストリア、スイス、ドイツが、金の輸出を禁じています。(イタリアは前年から、イギリス・アメリカ・日本はまだ金本位制を維持)

戦争中の成果流出防止策ですが、戦後の金本位制への復帰タイミングが大きな問題となるということで、6位にしました。

第5位: オスマン・トルコによるアルメニア人虐殺


アメリカでの報道

日本での初報道は9月24日。当時は、実際に行なわれたかどうか、疑わしく思われていたことが分かります。

実際には、4月頃から行なわれていて、その数は100万人以上(〜150万人)とされています。

現在でもトルコ政府は正式には認めておらず、現代に続く問題です。

どこの国にも歴史認識問題はあります。

第4位: 西部戦線で毒ガスの使用

4月22日、イープルの戦い(ベルギー西部)で、ドイツが世界初の毒ガスを使用しました。

当時の毒ガスは風の流れにまかせるもので、下手をすると自軍にも被害が出るものでした。

開発をしたドイツの科学者フリッツ・ハーバーの妻は、毒ガスの製造に反対して自殺をしたとされています。

戦争への化学兵器の登場ということで、第4位としました。

第3位: 袁世凱の皇帝就任運動


袁世凱

唯一、第一次世界大戦以外からのランクインです。

辛亥革命後政権を握った袁世凱は、混迷する中国をまとめるには強力な権限が必要、ということで、1912年の臨時大総統への就任から3年、1913年の正式な大総統への就任から2年で、皇帝就任の動きを始めました。

アメリカ人顧問グッドノー博士の理論的裏付けもあり(8月19日)、8月20日には籌安会(ちゅうあんかい)を発足させ、着々と皇帝就任の動きを進めています。

ただこれには反発も大きく、12月5日には上海で蜂起、25日には雲南省独立の動きが出てきました。

中国の混迷はまだまだ続いていきます。

第2位: フサイン・マクマホン協定

7月14日にメッカの大守フサインが書状を出し、10月24日にイギリスの高等弁務官マクマホンが返信をしています。

イギリスは、アラブ人のオスマン帝国に対する反乱を条件に、戦後のアラブ人独立国家建設への支持を約束しましたが、この約束は実行されず、現在の中東問題の一因となっています。

現代への影響の大きさを考慮し、第2位としました。

第1位: ドイツ軍が東部戦線で大勝


9月18日の東部戦線

第1位にしたのは、東部戦線でのドイツ軍の大勝です。

ドイツは西部戦線、東部戦線と両面の敵と戦いながら、8月にポーランド全域を占領しました。(8月26日:ブレスト・リトフスク陥落)

このドイツ軍の勝利(というよりロシアの敗北)によって、ロシアでは皇帝が最高司令官に就任することになり、(9月5日)ロシア国内が更なる混乱を深め、ロシア革命の一因となっていきます。

また連合軍もこの敗北を挽回するため、9月25日からは西部戦線での大攻勢(ほとんど戦果無し)や、翌年の攻勢(ソンム)が計画されることになります。

1915年は、セルビアも占領され、同盟国強しの一年です。

が、ドイツも決して余裕があるわけではなく、国内では食料を求めたストライキも始まっています。

国内

次は国内に移ります。

海外に関しては、当時の新聞記事は外電を伝えるという感じで、あまり百年前新聞ならではの独自性が無かったのですが、国内に関しては当時の話題にされ方に重点を置いて選出してみました。

第10位: ドイツ人捕虜脱走事件


11月22日に、福岡捕虜収容所から捕虜の脱走事件が発生しています。

その他にもドイツ人捕虜関係のニュースはちょくちょく出てきていますが(ドイツ人捕虜で検索していただければ)、私が気に入っているのはこのニュースです。(9月7日土木作業員に変装)

前年に、第一次世界大戦に参戦して青島のドイツ租借地を攻略したことにより、約5000名のドイツ人捕虜が日本にいました。

中には後年、日本とドイツの日独防共協定に暗躍される方がいたり、日本でお菓子屋さんを開かれた方がいたり(ユーハイムさん)、日本でのベートーヴェンの第九が初演されたりと、意外に日本にいろいろな影響を与えています。

ということで、第10位にしました。

第9位: 日本船の撃沈(靖国丸、八坂丸)


大阪朝日新聞

日本も第一次世界大戦に参戦しているため、ドイツ潜水艦の標的になっています。

11月3日に靖国丸、12月21日には八坂丸と、2隻の船が撃沈されました。

日本も第一次世界大戦の被害を受けていたということで、第9位にしました。

第8位: 西来庵事件


首謀者の余清芳

7月6日に、台湾で起きた反日蜂起、西来庵事件を第8位にしました。

これは台湾で起こった最後の抗日蜂起で、これ以来は台湾の民族運動は合法的政治運動になっていきます。

これに対して、朝日新聞の社説を掲載しています。日本人が植民地に対してどのように考えていたか、興味深いと思いますので、一読していただければ幸いです。
社説:新領土の統治に関して


第7位: 井上馨死去


大阪朝日新聞

9月1日に、明治維新から日本の財界をリードしてきた井上馨が亡くなっています。

この新聞評にもある通り、ある人物の死が一つの時代の終わりを感じさせることがあり、井上馨という人は、まさに明治を象徴する人物の一人と言えます。

明治の終わりと、新しい時代を予期させる出来事として、ランクインしました。

同時代人として、まだ山県有朋、大隈重信という御大が大正時代になっても頑張っていますが、お二人とも大正時代になってからの事績は、どちらかというと晩節を汚すものになっています。

政治家で権力を持ったまま長生きするのは、あまり良いことはないのかな、と思うところがあります。

第6位: 大戦景気始まる

第一次世界大戦でヨーロッパの生産活動が壊滅的状況になっているため、日本では大戦景気が始まっています。(代表記事:内田信也 大いに語る

大戦景気で成金が生まれたこと、対戦終了後に反動不況が起こること、など、後々にも影響を与える出来事です。

ドイツからの化学品の輸入が途絶え、日本で化学産業が勃興する一年にもなっています。(例:帝人は1915年創業)

第5位: 大正天皇の即位礼


街の様子

11月に大正天皇の即位の大礼が行なわれ、街は本当にお祭り騒ぎです。
現在と比べて、皇室の影響がいかに大きかったかということが良く分かります。

御大典に即して、風教の矯正が図られたり、制服が設けられたり、戸籍の整備が進んだりした、というのは面白い出来事ですね。


第4位: 乃木家再興問題


9月13日、乃木希典将軍の三周忌に、乃木家再興の話が突如発生しています。

乃木将軍の遺言通り、親族側は伯爵家断絶と思っていたところ、長州軍人の画策により乃木家が再興(別家を立てる)ということになりました。

これに関して世論が反発し、新聞・雑誌でたびたび取り上げられ、議会でも内閣弾劾の理由になっています。

今となっては感覚が良く分からない問題で、忘れ去られた事件ではありますが、当時の人々の関心の高さから第4位としました。


第3位: 大浦事件


大浦兼武内務大臣(事件当初は農相無大臣)が、第35議会で二個師団増師を通すために、議員買収を行なった事件です。(詳細は、大浦氏の予審調書

この事件発覚後、監督不行き届きで大隈内閣は総辞職を表明しますが、元老の勧告や大隈重信の思いによって、内閣は留任しています。(この間の経緯をまとめた記事はこちら

これだけ事件の真相が分かっておきながら、尾崎行雄司法大臣の政治的配慮によって大浦兼武氏は不起訴となっています。

”憲政の神様”尾崎行雄にしてこの判断、ということで、当時の政治倫理のレベルが良く分かる事件です。

また、当時の政治工作の一端が良く分かるので、第3位としました。


第2位: 第12回衆議院総選挙


大阪朝日新聞

第12回の衆議院選挙が、3月25日に行なわれています。

この選挙は、これまで10年以上多数を占めていた政友会が大敗し、政権与党の同志会が大勝する結果となりました。

大隈重信の個人的な人気が高かった、大浦兼武内務大臣が選挙干渉を行なった、等の要因もありますが、これまでずっと多数党だった政友会への幻滅という理由もあります。

この辺りは、2009年の総選挙で、自民党が大敗し民主党が多数になったときのことを思い起こせば、感覚として分かりやすいと思います。
(あの時も、自民党の失言問題で、自民党への幻滅がありましたよね)

またこの選挙は、大隈重信が列車で遊説を行なったり、演説をレコードに吹き込んだりと、画期的な選挙活動が行なわれた選挙でもあります。新しもの好きの大隈重信の面目躍如です。

選挙戦の焦点の一つとして中国への二十一か条要求があり、国民が中国での利権確保を積極的に支持したことも、重要な意味があると思います。

ともあれ、この選挙により同志会が大勝したことで、後の二大政党制の流れが確立することにもなりました。

第1位: 二十一か条要求


大阪朝日新聞

中国への利権要求を、最後通牒という形で行なった二十一か条要求が、1915年の第1位です。

要求の内容に関しては、ウィキペディアなどを参照していただければと思いますが、中国ではボイコットなどの対日感情が悪化し、欧米列強は日本の野心に対して警戒を高める結果となっています。

1月22日に交渉を開始してから、5月9日に中国から回答があるまで、国内の新聞では延々とこの交渉について持論を展開し、一部を除いて「この要求は当たり前である」「武力を使うことも辞さず」「譲歩は不要」等々の過激な主張を行なっています。

第二次大隈内閣が行なったことで歴史の教科書に載っているのは、二十一か条要求ぐらいです。(それも可哀想な気がしますが)

とはいえ、大隈重信首相や加藤高明外相を攻めるだけでなく、日本国内にそういった希望が充満していたから、このような要求が行なわれているということで、歴史の流れからすると致し方ないように思います。(結果は最悪ですけど)

<裏ベスト10>

ベスト10は真面目なことばかりだったので、個人的に面白かった出来事も簡単に紹介しますね。(順不同、日付順です)

8月12日 馬賊の巨魁 天鬼捕らわる

 満州山、とか坊主山、とかの名付け方が、なかなかのセンスです。 

9月3日 河口慧海の帰国

 なかなかの冒険談です。明治・大正期の日本人には、型破りの人が多かったんだな、と感じ入りました。

9月5日 野口英世の帰国

 小学生向けの偉人伝で必ず出て来る、野口英世に関する記事です。日本でも注目されていることが分かりますね。

10月19日 アメリカ巡業力士が帰国

 途中で脱走者が出て、アメリカに不法滞在者が出たというのが、この時代らしいです。その後、どうなったんでしょう? 強制送還されたんですかね?

10月26日など、 フレデリック・スタール博士の東海道行脚

 外国人が出した日本人論、日本紀行本は、幕末明治初期のシュリーマンの旅行記、イザベラ・バードの旅行記から、大正期は出されてないんじゃないかな、と思い、スタール博士の日本論も出したら面白いんじゃないかと思いました。(そんなに売れないとは思いますけど)

10月31日 宇治火薬庫事件は嘘と判明

 徴兵された兵士には、いろんな人がいて、いろいろ面白い出来事が起こってたんだなぁ、という感じです。陸軍への新聞記事も、昭和期と違って遠慮がありませんね。

11月21日 神田医師会の騒動、日本オリンピック

 乱闘を起こした羽太ドクトルが性欲研究家というのが、奥深いものがあります。
 マラソンも50歳の方が参加していて、牧歌的時代ですね。

12月11日 ナイルス氏の曲芸飛行

 当時、飛行ブームだったことが良く分かります。

12月18日 衆議院で乱闘騒ぎ

 昔も今も、というところはありますが、演説原稿を破るというのはすごいですね。武藤金吉は武闘派議員だったんでしょうか。
昔の議員は、地元の名士がそのまま出てきているので、世襲議員もまだ少なく、素朴で今より面白い人が多いように感じます。


1915年、大正4年もいろいろな出来事が起こっています。

当時の人々、誕生日の一覧

毎日、記事の最後に誕生日欄をつけています。

ちょうど皆さんの100年前に生まれた人々を見ていただければ、その人と同じ感覚でニュースを見ていくことが出来るかもしれませんので、当時生きていた方の一覧を掲載してみます。

私の誕生日の100年前に一番近いのは、天皇機関説の美濃部達吉さんです。1873年生まれは文化人が多いですが、明治の文明開化の頃に生を受けたため、そういう年代だったんでしょうね。


ファイルイメージ

1915年末時点の年齢


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Posted by 主筆 at 2015/12/29/20:14

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