百年前新聞

2018-01-22

百年前新聞とは?

大隈首相に苦言を呈す

大正4年10月11日

政局の変転は微妙なもので、時に判断を誤ることがある。

大隈伯が政権を取ったのは、実に輿論の高潮による。伯自らが輿論を作ったのではなく、また輿論を操作できるものでもない。伯は輿論を採用し、政治の弊害打破、政党の廓清(*清めること)、海軍の廓清を行なった。
だが廓清するものがほぼ尽きた後、また前任者と同様の過ちを重ねようとしているのはどういうことだろうか。すなわち、大浦事件、聖旨留任、乃木家再興、新大学令案などは、どうして世間の歓迎を受けるものだろうか。

大浦事件は、事実としては内閣全体が関知するところではないが、立憲政治家たるものは、共に責任を負い、進退の模範を示すべきものだった。これを聖旨を口にし、留任したことは非立憲的行為である。
反対党の信用が回復せず、後継者を得ることも困難であるという事情もあるが、従来非立憲的政治家が採用してきた聖旨を口にし、民意を失っていないと誤断したことは、聡明な伯の行為とも思えない。伯は時局を口にし、御大典を口にするが、これもまた立憲政治家の口にすることではない。

特に対支交渉(*二十一か条要求)は、国民の支持を得て、大いに好結果を収めるかと思いのほか、国内では元老に牽制され、反対党にも乗ぜられ、国外では中国に翻弄され、未解決の第五項も宙に浮いたままになっている。
また帝政問題に関して、無責任な放言をし、誤った日支親善論に近づいていることには、伯の外交手腕に疑問を感じる。帝政問題は、決して傍観すべきものではない。善隣の厚誼を重んじれば、痛切に考えなければならない。人道上からも、政治上からも、中国の進歩改善を促さないといけない。これに対して全く他国事のように思惟し、我関せずの態度を取ることは、東亜保全の任にある我が国の政治とは思えない。
誤った日支親善論が勢いを得ていることはあるが、英明な政治家は誤ることはない。筆者は大隈内閣の対支交渉を支持していたが、最後において失望している。

乃木事件に関しても、伯はまたしても聖旨を口にしている。英雄を尊び、家名の永続を希望するのは我が国民の特徴であると言っているが、英雄を尊ぶからこそ、家名を汚すことがないことを望み、英雄を尊ぶからこそ、故将軍の遺志を遂げさせたいと思うのである。一家名によって英雄が伝わるのであれば、和気清麿の子孫も楠正成の子孫も、同姓によりて伝わっているはずである。だが今、何ら爵位の子孫は居ないではないか。単に無名の子を捉えて、これに乃木姓伯爵を与えることは、英雄尊崇の国民性にも反することである。
もし授爵を宮内省の責任とし、閣員は関知せずとの言を発することは、由由しき問題である。このような言葉は、累を天皇に及ぼそうとするもので、謹まないといけない。

新大学令に関しては、首相も輿論に耳を傾け、大いに改めようというところがあるので、ここでは論及しない。

要するに、首相はあまりに楽観的で、自己の勢望を過信し、政局変転の機微を忘れようとしているのではないか。筆者は大隈伯に期待することが多かっただけ、その末路を誤ることがないように、あえて苦言を呈す。


索引語:事件 政治 中国 社会 教育 大隈重信

Posted by 主筆 at 2015/10/10/23:56

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