百年前新聞

2018-04-22

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大浦事件の予審調書より感じること

大正4年10月3日

大浦事件の予審調書の一部は、連日の各紙に掲載されている通りで、読むに堪えないほど醜怪である。このように醜怪なことが憲政の裏面に行われていたのかと思うと、憲政を呪う気持ちも起こる。
だがこれは人の罪であって、制度の罪ではない。憲政の進歩の過程で、免れることのできないものとして、多少諦めることができる。が、大臣や国民の選良である代議士が、このようにして取引をしていたかと思うと、やはり慄然とする。

この事件で、第一に問う必要があるのは、大浦氏の罪状である。
大浦氏の行った罪状は、歴代の政治家が行ってきたところで、大浦氏自身はそこまでの罪悪とは思っていないだろう。私心が無ければ可として、大浦氏自身は案外に清廉で、その素行に怪しむところは無い。が、政治道徳を犯すことは、とりもなおさず徳を傷つけることである。

ここまで罪状が明らかである以上、相当の刑に処すことも考えられるが、尾崎法相の弁明といい、司法当局の処置といい、不徹底な感がある。
皮肉に言えば、大浦氏を起訴すればその余波がどこまで及ぶか分からず、また内閣が連帯責任を帯びて辞職すれば、反対党の内閣によってどこまで復讐されるか分からない、ということで、このような姑息な手段を取ったのではないかとも思われる。

特に大浦氏の使用した金銭は、林田氏が機密費として受け取ったというように、大浦氏も機密費として受け取ったものではないか。あるいは大浦氏の個人的な金銭か。あるいは同志会の会計から出たのか。予審決定書に大浦氏の罪状を明記したことは非常に大胆なことだが、金の出どころは曖昧である。
また尾崎法相が、大浦氏起訴猶予を自己一人の責任として、累を内閣に及ぼさないように努めていることも、何らかの脈絡があるのではないか。

政治家が議員の売買を罪悪とも思わない程に良心が麻痺し、いや初めより政治道徳を心得ていないことを遺憾とする。この点において、大浦氏は先輩政治家の罪悪を一身に負い、総決算を受けたものとして、政界を隠退することは勿論、更に刑を受けることも本望であるべきである。


第二に、世間の多くは議員を買収した大浦氏の罪状を咎めるばかりで、その買収された代議士に寛大なのはなぜだろうか。政党とはこのような人物を集めたものではないか、ということを、検討したいと思う。そして涜職罪に触れた者の多くが政友会の代議士であることから、政友会というのもこのような人物の集団であるということが断定できるのではないだろうか。この集団が国政を議決し、秕政が続出したのも当然である。

また、買収された議員は罰せられ、党金で買い戻された議員は節操を全うしたとされていることも、疑問である。同じく金で買われたもので、片方は涜職罪となり、片方は党議服従の美徳を全うしたと言われる。この差は何だろうか。
筆者は、官僚政治家が金で議会を支配しようとしたことと、政党首領が金で党員を縛り、子分を作り、政権を握ろうとしたこととは、何らの差異は無いと思う。

であれば、当局の非違を指弾することが出来るのは高潔な国民のみにで、政界に遊泳している党人には、これを攻める何らの資格もないのである。

大正に入って醜怪事が続出することは、一面において大いに忌まわしいが、一面においては内部の化膿が逐次に摘出され、やがて憲政の健全を期するものと見れば、あながち忌まわしいものではない。何事にも革新の機運を認める。

大隈伯は政界廓清(*清める)の機運に乗じて政権を握り、国民の期待に沿って来たが、次第にまたミイラ取りがミイラとなって、批政が続出してきている。これは案外、大隈伯の政治的寿命が短いことを示しているのではないか。

革新の機運は大隈伯をも容赦しない。在野政党が未だ信用を回復していないことが、現内閣に取り唯一の頼みであるが、大浦事件の終結は、尾崎法相のみにて引き受けることが出来るのか。未だ測り知ることは出来ない。


索引語:政治 事件

Posted by 主筆 at 2015/10/03/08:22

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