百年前新聞

2018-01-21

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教育は天真を発揮させることにあり/桃太郎主義の教育 第26回

大正4年9月30日

62. 馬と人の子

またこれと同じ例は、人間が動物を扱う上にもある。

西洋の馬は大きくて大人しい。日本の馬は小さくても荒い。
この小さくても強いところが、すなわち日本式だと言えばそれまでだが、すでに馬を家畜として、人間の使役に耐えしめようというには、小さくて荒いのより、大きくて大人しい方が、どれほど便利だかしれないではないか。

ところでこういう両者の差は、どこから出て来るかというに、皆人間がその初め、馬を馴らす時の心掛けから来るのだ。
西洋人の馬を馴らすのは、もっぱら馬の運動を自由にさせ、鞭も加えず、クツワにも当たらず、出来るだけ自然の法に適わせるようにする。
これに引きかえて、日本流の調馬法は、いわゆる責め馬という言葉があるくらいで、手綱を締めたり、脛を縛ったり、いろいろな細工を加えて、人間の造った鋳型へ、活きた馬をはめようとするのだ。

それだから見たまえ!たまたまこの法によって、よく御し得る人に対しては、馬も恐れ入って言う事を聞くが、少し勝手を心得ぬ者と見れば、たちまちこれを侮辱して、前脚で抱えたり、後脚で跳ねたり、頸を曲げたり、後ずさりしたりして、横着のしたい三昧をやる。
これ畢竟、平生からあまり自由を拘束されて、不自然な教練をされたから起こる、一種の反抗に過ぎないのだ。

かつて北清事件が済んで、北京で各国の兵が集まったとき、西洋人は日本の軍馬の暴れるのを見て、これでも家畜かと言ってあきれた、というではないか。

そうかといって、日本人は西洋人に比して、必ずしも馬を憎むのではない。ただ馬の性情を解しないからだ。そしてこういう馬の癖は、元は自分でこしらえておきながら、それをもかえって馬の科(とが)にして、さらにその矯正法を講じる。それがまた馬にとっては、いよいよ迷惑なことになるから、ますます人間に親しまなくなる。
まこと苦々しい次第である。

ところがこれは馬ばかりでなく、人間の教育にも行われることだ。
すなわち人の親たる者が、その子を育てていく方針を、もっぱら大人本位から割り出して、ただ厳格にのみ扱おうとする。そして子供をいじりちらす結果が、子供の性情をひねくらせる。ひねくれると、なおこれを責めて、さらにこれを矯め直そうとする。
かくして親は子を過(あやま)り、子は親を恨む例が、ずいぶん世間には少なくない。

現にいわゆる不良少年の多くが、かえって厳格すぎる家庭から出ているのを見ても、間違った教育の恐ろしさが、立派に証拠立てられるのである。

62. 親の本分

そこへいくと、我が桃太郎の家庭なぞは感心なものだ。

あのお爺さんにお婆さん、老いてますます壮んな老人夫婦、子供に小言を言い、もしくはこれを折檻するくらいの勇気は、もとより人に負けないに相違ない。

然るにかの桃太郎に対して、ついに一度、どんな小言を言ったとか、どういう訓戒を与えたとかいうことは、少しも話に残っていない。

かの有名な孟子の母は、子のために三度引っ越したり、またせっかく織りかけた機(はた)を、途中から断ち切ってしまったというが、桃太郎の母なる婆さんは、我が子を教育するために、かつて洗濯物を引き裂いたということも聞かない。

それならまた桃太郎を、頭から舐めるくらいに、姑息な可愛がり方をしたかというと、またそうでもないという証拠は、かの鬼ヶ島征伐という恐ろしい大冒険でも、快く許したのでも解っている。

してみると、かの老人夫婦は、この桃太郎を教育するに、すこぶる放任主義をとっていたらしい。そしてその放任の間に、けじめけじめを良く締めていたのは、ちょうどあの船中における、イギリスの母親のようであったのだろう。

さればこそ、桃太郎はこの天真を遺憾なく発揮して、遂にあの通りの大事業をなし得た。

もしこれがそうでもなく、老夫婦が平凡な親心から、何でも桃太郎を立派にしようなぞと、なまじ小言や折檻を加え、干渉主義に教育していたら、果たしてどんなになったろう?

もとより桃太郎ほどの男だから、たとえ親の干渉が厳しいからといって、そのままいじけてしまいはすまい。むしろかえってこれに対して、一種の反発心を起こしたに相違ない。
その結果がどうかというと、自暴自棄から家を飛び出し、果ては犬、猿、キジを子分に、山賊野武士の頭領になって、鬼ヶ島征伐の代わりに、村の長者の屋敷でも襲って、そこの宝物を奪って帰るぐらいが関の山であったに過ぎまい。
実にこうした例は、かの有名なシラーの処女作、群盗の主人公が証拠立っている。

もしまたそうでもなく、桃太郎が思いのほか孝行者で、老夫婦の言うがままに、ただ大人しく成人していたら、たまたま犬に出会っても、吠えられただけで逃げてしまい、猿には引っかかれるといって、その側へも寄り付かず、キジは蛇を食うそうだと、噂ばかりで震えあがるような、意気地なしになってしまったろう。

然るにかの桃太郎をして、あの大功を収め得しめたのは、畢竟かの老夫婦が、人の親としての本分を、最も尽くしたからである。

人の親としての本分とは何か?
すなわち与えられたるその子をして、よくその天真を発揮せしむるにある。

出典

近代デジタルライブラリー
桃太郎主義の教育 巌谷小波著 
大正4年2月25日発行 東亜堂書房

WEB掲載用に、旧漢字を新漢字に変更、段落分けの調整等の改変を行っています。
現代では不適切な表現もありますが、当時の文章を出来るだけ活かすために、そのまま掲載しています。ご了承をお願いいたします。


索引語:桃太郎主義の教育 連載

Posted by 主筆 at 2015/09/30/23:56

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