百年前新聞

2018-01-24

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大正5年春場所の番付発表、ローシー氏のオペラ館設立計画ほか

大正5年1月5日

読売新聞


大正5年(1916年)1月5日の出来事

【皇室】宮中で新年の宴
【政治】大隈重信首相の新聞談話
【陸軍】神尾光臣中将が大将へ
【文化】ローシー氏のオペラ館設立計画
【スポーツ】大正5年春場所の番付発表
【イギリス】徴兵制案を下院に提出
【中国】雲南省独立の続報

国内

宮中で新年の宴

宮中で、新年の宴があり、皇族、各国大使、東郷大勲位、大隈首相を除く閣僚、各元帥、枢密顧問官、両院議長、大臣待遇等々が出席しました。

大正天皇が陸軍大元帥の正装で勅語を述べ、岡市之助陸軍大臣が群臣を代表して奉答しています。

国民新聞での大隈首相の談話


大隈重信

大隈重信首相が、国民新聞に談話を発表しています。

抜粋(現代語訳)

考えてみよ。
中国との交渉において、故小村(寿太郎)外相が、満州に60万の兵を擁し、中国政府を威嚇しながら交渉したにもかかわらず、わずかに安奉線を獲得したに過ぎなかった。(*日露戦争時)

しかも今後6,7年をもって期限満了となるはずだったのに、加藤(高明)外相は一兵をも動かさず、一軍艦も派遣することなく、談笑のうちに満蒙の租借権および鉄道などの権利を99年に延長し、その他方面の権利および利益を得たのである。(*21か条要求のこと)

これは我が外交の大成功ではないか。

ローシー氏のオペラ館設立計画

帝国劇場のジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー氏は、新しいオペラ館の開設を計画中です。

氏は来日以来、ヨーロッパ風の楽団を日本に起こそうと考えていましたが、これまでは様々な事情により実現していませんでした。

ローシー氏は、赤坂の演技座を改築して700人が入るホールとし、9月1日までに完成させる見込みです。

帝劇の音楽指揮者竹内氏、清水金太郎、原信子などを主なメンバーとし、コーラス隊36名、オーケストラ20名で行おうとしています。

関連記事: 9月26日 帝国劇場でボッカチオが初演

大相撲春場所の番付発表

14日から開始予定の春場所の番付が発表となりました。

今場所の好取組は、大錦、太刀山、鳳の取組です。


横綱 太刀山

相撲協会 根岸治衛門理事の話

今度の番付編成について、一番問題となったのは、幕内を一名ずつ減員することでした。何しろ増やすのと違って減らすとなると、そこにいろいろの事情が湧いて、なかなかに困難でした。

しかし毎場所幕尻にうろついていて、大事そうに一つか二つの星を残していく連中を、勝ち越しているからよいワといって、そのままそこに据えておいても本人の奮発にもなりませんし、後進の奨励にもなりません。

だいぶ気の毒な方もありましたが、それらをピシピシ幕下に落としてしまい、幕内の数を減らした訳なのでございます。

太刀山を東方に回したらどうか、という議論も一部から出て、多少花を咲かせましたが、優勝旗は東方に奪われている、そこへ大横綱とも言われるものがのんべんぐらりと行かれるものじゃないか、という議論が勝ちを制して、この話は立ち消えになりました。

海外

イギリス徴兵制問題


アスキス首相

アスキス首相が、昨日議会で報告した徴兵案を議会に提出しました。

「一部に徴兵に反対者はあるが、強制制度の実行をしないと、募兵運動が失敗に終わる危険性がある」と、アスキス首相自身の意見を述べています。

同案が議会を通過すると、14日目に実行に移され、入営期日は21日目となります。

なお、職務期限は戦争終結までで、イギリスからの独立運動が起こっているアイルランドと、宗教上平和を貫くクエーカー教徒は適用外になっています。

イギリスの新聞紙も、一紙を除きこの案に賛成しています。

雲南省独立に関する動き


貴州省 ウィキペディアより

雲南省に続き、貴州省からも「帝政を止めないと、中央政府との関係を断つ」という電報が、中国政府に届きました。
貴州省も独立に向かう形勢です。

袁世凱は、各地方官に再度反乱を取り締まるよう訓令を出しています。

袁世凱の一家で、帝政を進めた長男の袁克定氏を、次男の袁克文氏が批判している、という報道もあります。

このとき

出来事


フランスが新型機ニューポール11を導入


ニューポール11(ウィキペディアより)

フランス軍が、新型機ニューポール11の導入を開始しました。

これまではドイツの「フォッカー」機により、空の戦いは圧倒的にドイツが優位でしたが、この新型機はフォッカーの性能を上回っており、空中戦での連合軍の挽回が始まっています。

機種名フォッカーEニューポール11
最大速度140km/h156km/h
航続距離220km330km
到達高度3660m4600m

その他の出来事


熊谷一弥

・慶応義塾大学テニス部の熊谷一弥が、マニラで行なわれた東洋庭球選手権大会のシングルスで優勝しています。

・京都大学の哲学科教授朝永三十郎氏が『近世に於ける我の自覚史』を刊行しました。

・東北本線で仙北町駅が開業(盛岡市)


誕生日


コンラート・アデナウアー (40) ケルン市助役
三木 清 (19) 第一高等学校学生
赤根谷 飛雄太郎 (0) 誕生

編集後記

この日生まれた、赤根谷 飛雄太郎という方は、後にプロ野球選手になって、プロ野球史上最も長い漢字の名前ということです。(成績は22試合で2勝6敗)
”飛雄”ということは、この頃流行っていた飛行機にちなんだ名前かもしれませんね。


大隈重信は、また放言という感じです。
21か条要求も、後世からすると中国との関係を決定的に悪化させた事件ですが、本人は自分の功績として誇らしく語っています。

とは言っても、当時の認識としては、これに賛成する人も多かったということで、僕のひいおじいさんも、もしかすると賛成していたかもしれません。(というか、ひいおじいさんは4人いることになるので、賛成した人もいるでしょう)


ローシー氏は、イタリアから歌劇の指導に帝国劇場にやって来て、日本にオペラを本格的に導入した人物です。
オペラはオーケストラを雇うので、費用がかかるということで帝国劇場では中止となり、それを自らの資産でやろう!と計画したのが真相のようです。(実際に、後年破産するようですが・・・)


大相撲の太刀山は、当時の大横綱で、43連勝して一敗を挟んで56連勝したということ。とんでもない強さですねー
188センチ150キロということなので、現在でも相当な体格ですね。

相撲界への勧誘にあたっては、自由民権運動で有名な板垣退助が動いているということで、これもなかなかすごいエピソードです。

まだプロスポーツが相撲しかない時代なので、相撲人気は今より高かったでしょうね。


フランスの新型飛行機ニューポール11が登場しましたが、ドイツのフォッカーの登場が昨年の夏だったので、まさに日進月歩の勢いで飛行機が進化していますね。
このサイトをやっていると、時間の感覚が分かってきて、フォッカーの登場ってこの前だったじゃないか、という気がしてきます。

ともあれ、戦争による技術革新の一例です。


熊谷一弥氏も、少年時代は軟式テニスをやっていて、日本で硬式テニスが始まったのは1913年、このわずか3年前とのこと。それで世界に通用するということは、いやはや、本当にすごいです。

この時は新聞記事にはなっていませんでしたが、これから注目度が上がって、新聞にも取り上げられるようになるんじゃないかと思います。

この後、さらに精進されて、日本人初の全米オープンベスト4に入ることになります。大正時代にベスト4がいたんですね。

そこから日本人がテニスの4大大会のファイナリストになるのは、錦織圭君まで時代を経なければなりません。


本日は小ネタが多かったですが、以上です!


索引語:皇室 陸軍 大隈重信 文化 スポーツ イギリス 中国 第一次世界大戦 政治

Posted by 主筆 at 2016/01/04/23:09

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