百年前新聞

2018-04-22

百年前新聞とは?

高島鞆之助の死去、ロシア大公神戸に到着ほか

大正5年1月11日

大阪朝日新聞


大正5年(1916年)1月11日の出来事

【外交】ロシアのミハイロヴィチ大公が神戸着
【皇室】照憲皇太后の命日、皇后陛下が御下賜
【社会】ロシアの音楽家が来日
【訃報】高島鞆之助(退役陸軍中将、枢密顧問官)
【中国】雲南省独立の続報

国内

ミハイロヴィチ大公が神戸着、東京に向かって移動


大阪朝日

午後1時に、ロシアのミハイロヴィチ大公を乗せた御召艦鹿島が、神戸に到着しました。

波止場や、港から駅までの沿道には、日露の両国旗が掲揚されています。

駐日ロシア大使マレウィッチ氏、兵庫県知事、神戸市長などが鹿島まで、大公をお迎えにあがりました。

午後4時に大公は鹿島を出て、神戸駅に向かうと、沿道の在日ロシア人は「ウラー!」と声を上げ、国賓の姿を見ようと集まった観衆は「万歳!」と叫んでいます。

午後5時10分に、出迎えた添田寿一鉄道院総裁、同行の寺内正毅朝鮮総督とともに、神戸駅を出発。
5時43分に大阪駅に到着し、第4師団仁田原中将などの挨拶を受けました。
6時39分に京都に到着し、第16師団松川師団長、荒木寅三郎京大総長、井上京都市長が挨拶をしています。

大公を乗せた列車は、翌日午前に東京に到着する予定です。

皇后陛下が病院、孤児院に御下賜

照憲皇太后(明治天皇の皇后)にならい、皇后陛下が東京慈恵医院、日本赤十字社病院、恩賜財団済生会、麹町診療所、福田会育児在院孤児に、木綿、裏地を御下賜されました。(裁縫料を添えて)

福田会育児院の寮長小倉孝子さん

ありがたき御下賜品は毎年ありますので、当院では記念としてその年の終わりまで据え置きして、新年に新調したものを着せることになっています。

子供らにも陛下の御仁慈のほどはよく染み込んでいます。本院では陛下の大御心をよくお伝え申して、さらに立派な人物となって、国家のため、御聖恩に報うことを忘れてはならぬ、ということを説いて聞かせています。

ロシアの音楽家来日

来日するロシア大公の旅情を慰めるため、ロシアの女流音楽家マルガリータ・ベルソン(20)が、ピアニストのブーレー氏とともに来日しました。
ベルソン女史はペトログラード音楽大学院の出身で、ロシア帝室劇場の第二ヴァイオリニストです。

「朝鮮から下関、神戸、と、汽車でまっすぐに来てしまったので、何も見る時間はありませんでした。

何しろ日本は初めてなので、見るものごとに多大な興味を覚えます。汽車の中から、雪をかぶった富士山の雄姿には、深い印象を与えられました。ロシアと違って日本は暖かで大変楽です。

日本には二週間ばかりいる積りです。その間に、22日にこの帝国ホテルで音楽会を開き、日光、鎌倉、京都、奈良などを見て帰国の途に登る予定です。」

高島鞆之助子爵が死去


高島鞆之助

退役陸軍中将、子爵の高島鞆之助氏が、京都伏見の娘夫婦の家で午後2時頃亡くなりました。

氏は天保15年(1844年)薩摩藩士の家に生まれ、松方内閣で陸軍大臣、拓殖務省大臣、その後は枢密顧問官などを歴任されました。享年72歳。

読売新聞の追悼文(要約)

戊申の役から始まり、国家のために貢献され、陸軍大臣を経て枢密顧問官に任ぜられ、麻布箪笥町の高台に広壮な邸宅を構えて悠々楽しんでおられた生前は、人をして羨望の眼をそばだたしめたでしょう。

ですが氏は早くに夫人を失い、誠に寂寞の中に生活しておられたのでございました。

先ごろの御大典(*前年11月の即位礼)で京都に赴き、長女が嫁いだ高島友武陸軍少将が伏見にいるので滞在していたところ、そのまま脳溢血で長女や孫に看護を受けながら、安らかに薨去されたのでございます。

愛子の暖かき家庭で命を終えた子爵は満足なことでしょう。

床次竹二郎氏談 (とこなみたけじろう:政友会議員)

余が東京に出てから、同郷の先輩として高島子爵の門を叩き、親しく接見する機会を得た。

薩長の先輩は、その多くの風貌が堂々としているが、その中でも子爵は特に風貌が魁偉であり、一見して人を感服させるところがあった。悪く言えば傲岸不屈とも言えるが、真に偉丈夫であった。

時事問題に関する意見も、常に大局に着眼し、高所から立論をされ、拝聴すべきものが多くあった。

子爵が順当に進んでおられたら、西郷・大久保の衣鉢を継いで、一度は内閣の首班をされることもあっただろう。いや今後といえども、今日のような沈滞した時代には、子爵のように活発果断な人が必要である。

気質から敵を作ることも多いだろうが、必ず思い切った改革を成し遂げる機会もあるだろうに、卒然として亡くなったことは、惜しんでも余りある。

子爵は軍人としてよりも、政治家としての素質を具備しておられ、特に政党の狩猟などには得難い適材であった。

高島将軍の逸話

性質はきわめて磊落(らいらく、おおらかなこと)で、師団には一週間に二度ぐらいしか出ないこともありました。

ことのほか派手好きで、陸軍始めの観兵式後に、公私の百官を集めて豪奢な宴会を張ったことなどは、今でも話の種になっています。


高利貸しが朝鮮の李王家に二万円を貸し付けた際に、将軍が裏書をしていたこともありました。

期限が来て高利貸しが李王家に催促すると、「王家の資産は総督府で握られているため、何ともし難い」という返事があり、それで高島将軍のところに行くと、「俺に借金の催促は無理だよ、はははは」と一向に取り合いませんでした。このお金は泣き寝入りになっているようです。

海外

中国の雲南省独立問題

貴州の将軍が中国政府に帝政の中止を求めた件に関し、政府が返信した電報の内容が公表されています。

「単に雲南省が独立したということから、国体変更の取り消しを要求するということは、国家問題を児戯にする言葉で、討議の必要はない。国体変更はすでに法であり、軽々に取り消すことはできない。」

貴州省からの要求を完全に否定した内容であり、貴州省の独立も止むを得ない状況です。


日本の北京駐在日置公使が外交部を訪問したところ、

・帝政の実行期はまだ不確定
・目下討伐軍の準備も整い、平定は間違いない
・日本の新聞紙が各種流言を流布するのははなはだ不都合であり、厳重なる取り締まりを希望する

という回答を得ています。

このとき

出来事

愛知県で、中島郡祖父江町立実習補習学校が設立されています。(現:杏和高等学校)

誕生日

蔡 元培 (48) ヨーロッパ留学中(中国の教育家、袁世凱に反発)
鈴木 庫三 (22) 陸軍工兵

編集後記

高島鞆之助中将は、大阪に偕行社小学校(現:追手門学院小学校)を設立した、教育者としての一面もありました。
記事中の、”宏壮な住宅”は、現在上智大学の中に「クルトゥルハイム聖堂」として現存しているとのことです。

床次竹二郎は政友会の議員で、後年いろいろな動きをする方ですが、”同郷の先輩として”薩摩閥の長老高島中将と交わっていたということは、薩摩閥の一員でもあったんですね。談話の中に、”順当に進んでいれば”という表現があり、良く分かりませんが高島中将には何か事情がありそうです。

お金のことを書くのは、故人にしのびない気もしましたが、記録として書いておきました。借金が相当あったようで、本当に(良くも悪くも)おおらかな方だったんでしょうね。


ロシア大公が神戸に到着し、またにぎやかになっています。
寺内正毅朝鮮総督は、ずっと一緒に居るので、密談も進んでいたことでしょう。

中国の雲南省独立問題も、なかなか大きなことが起こりませんが、徐々に煮詰まっている感があります。

では、本日は以上です。


索引語:ロシア 皇室 陸軍 訃報 イギリス 中国

Posted by 主筆 at 2016/01/11/00:41

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