百年前新聞

2018-01-21

百年前新聞とは?

大隈重信襲撃犯捕らわる ほか

大正5年1月19日

大阪朝日新聞


大正5年(1916年)1月19日の出来事

【事件】大隈重信首相襲撃事件の犯人捕らわる
【議会】貴族院 首相が議員を招待し、局面の打開を図る
【外交】ロシア大公の様子
【航空】雄飛号 ー また失敗
【第一次世界大戦】モンテネグロ 降伏拒否か
【訃報】秋月 桂太郎 (役者)

国内

大隈重信首相襲撃の犯人が捕らわる

大隈重信首相襲撃事件の犯人が逮捕され、取り調べが続いています。

逮捕の経緯

警視庁が現場周辺の聞き込みを行なうと、12日の夕方、現場付近の旅館に2名の男が宿泊し、午後8時半頃から外出して、その夜は帰ってこなかったことが判明しました。

また、検事局に対して「犯人は和田と下村」と密告してきたものがあり、旅館の女中に人相を聞いてみると、和田と下村と符合し、部屋からも有力な遺留品が見つかりました。

これにより、16日になり和田政吉(28)、下村馬太郎(26)は難なく逮捕され、福田和五郎(50)、鬼倉重次郎(38)が関係したことも分かり、18日にこれも難なく逮捕されました。

また事情を知る者として、東亜高等女学校校長田中弘之、青年自由党党首肥田琢司らも取り調べを受けています。

当局者は原因を発表していませんが、中国外交に対する不満があり、内閣の更迭を図ったもののようです。

襲撃に使用した爆弾も、素人が作成したという報道がありましたが、かなり念入りに作ってあるもののようです。

肥田琢司(青年自由党)談

下村は苦学生で、青年自由党に入り、私方に寄宿していました。

昨年12月に、下村が私方へ出入りする鬼倉、和田、私と弟と共に、青年団団結を起こそうとして、17日間拘束されたことがありました。

それでも下村は懲りず、ますます内閣打破を叫んでいましたが、本月5、6日に外泊したのは、今思うと爆弾でも作るためだったのか。

田中弘之(舎身)の談

18日朝、寝込みのところを家宅捜索されたのは意外だった。

僕は多年、政治上の議論もしているが、それは僕が宗教家としての面目から、政治は必ず宗教の上に根底を置かなければならん、という考えを持っているからである。

よって家宅捜索に対しても、判検事のなすに任せて、どんな捜索をしようとまったく平気なもので、うがい薬ぐらいで格別参考になるものが無かったのは、かえって気の毒に思った。

同行を求められた時も、言うなりに従い警視庁に行った。
「鬼倉と和田が出入りするか」という質問に対しても、鬼倉や和田だけでなく、自分のところには多くの有志や青年も来る。貧乏人も来れば、金持ちも来る。貧乏人が金が欲しいと言えば、金がある時はやるし、無い時はやらない、と答えた。

しかし、誠に丁重に待遇してくれて、僕も刑事や警部を相手に、宗教上の談話を試みたり、非常に愉快だったよ。

大隈重信談


大隈重信

我輩は確信するところに向かって国政を料理している以上、味方もあれば敵もあるんである。

しかしながら、政治上の反対の意志は、言論により正々堂々と所信を発表する方法があり、何も誤れる野蛮時代の遺風を踏襲する必要はない。

しかも暗殺などと呪われた蛮行が、頭の古い連中によってのことなればとにかく、こともあろうに前途有望なる青年によって企てられたということは、実に悲しむべく、憐れむべきことで、悲哀の極みなんである。

貴族院:追加予算をめぐり攻防

貴族院の予算委員会が開かれ、政府としては追加予算案を分科会に移すことなく、総会で協賛を得たいと希望していましたが、貴族院側の強硬な姿勢により、分科会に移されることになりました。

予算委員会終了後、大隈首相は、各会派の首領クラス(研究会、幸俱楽部、甲寅倶楽部、交友倶楽部、土曜会)を招いて、1時間ばかり懇談会を行なっています。

追加予算の中には1月中に支払いが必要なものがあるため、速やかに協賛をお願いする、と懇願を行ないました。

この日のロシア大公


ミハイロヴィチ大公

この日のゲオルギー・ミハイロヴィチ大公は、午前中は鎌倉・江の島を訪れています。
小学生が日露両国旗を振りながら万歳を歓呼して出迎えました。

午後は東京に戻り、天皇陛下にお別れを告げに参内し、日本国内で優遇してくれたことに対して感謝の挨拶をしています。大正天皇からも、旅行の安全のお言葉がありました。

また天皇陛下も御答訪として、霞ヶ関離宮を訪問され、告別の勅語を賜っています。

夜は帝国劇場で、歌舞伎をご覧になっています。
渋沢栄一、大倉喜八郎など実業家が先導し、閑院宮、東伏見宮、梨本宮、朝香宮、竹田宮の皇族とも挨拶を交わされました。

雄飛号 また失敗


雄飛号

18日深夜、飛行船雄飛号は再度大阪に向けて出発しましたが、国分寺上空で機関部の送風機が故障し、再び所沢飛行場に戻っています。

関連記事: 1月16日 雄飛号 大阪までの飛行演習失敗

海軍省の参政官:岡部次郎氏に

早速整爾が衆議院副議長となり空席となっていた海軍省参政官に、岡部次郎氏が就任しました。
岡部氏は長野県選出の衆議院議員で、早速氏と同じ中正会に所属しています。

アメリカから中国革命党員が入国

東洋汽船ペルシャ号がサンフランシスコから帰港し、その中には1人の中国革命党員が乗っていました。雲南省の独立を応援する目的で、大箱10箱以上の武器弾薬を携帯しています。

この革命党員によると、アメリカの中国人は袁世凱の帝政に憤慨しており、革命支援の募金が順調に進んでいるようです。

孫文と並ぶ革命党の大物、黄興氏も、近く帰国する予定ということです。

その他の報道

・(自称)預言者 宮崎虎之助の夫人が危篤

・青山で大火、全焼50戸

・芥川龍之介が、「新思潮」誌に「鼻」を発表。なお氏は、これより後は本名を名乗るようです。(これまでは柳川隆之助名義)

海外

第一次世界大戦関連

・ドイツ皇帝がブルガリアを訪問し、ブルガリア国王と会談を行なっています。

・首都が陥落し、降伏を宣言したモンテネグロですが、オーストリアからの講和条件に領土割譲の要求があり、これを拒否し戦争を継続する模様です。

中国情勢

日本政府が中国の特使来日を拒絶したことに対し、北京の新聞紙では「中国を侮辱するもの」として、反感が高まっているようです。

このとき

訃報: 秋月桂太郎(役者)

明治4年生まれ、享年46歳。当たり役は、「金色夜叉」の間貫一など。

佐藤紅緑の談

秋月の芸には情熱があった。
私の脚本で彼が演じたものも、その情熱により成功した。やせぎすですらりとしていたが、どこまでも上品で、大学生とか華族の若様といった役が最も適した。

秋月がいかに奮闘しても、滅びゆく新派の大勢は容易に挽回することが出来なかった。

誕生日

珍田 捨巳 (59) アメリカ大使

編集後記

大隈首相襲撃事件の犯人が捕まって、報道統制も解かれています。

新聞を読む限りでは詳しいことが分からないのですが、「対支外交の失敗に憤慨」ということで、二十一か条要求に関する憤慨だと思われます。

失敗も二通りに読むことが出来て、現代的解釈の「最後通牒で解決したことで、中国人の反日感情をあおった」と、当時の認識の「最後に第5項を中国に譲歩した」のどちらかというと、おそらく後者じゃないかと予想します。

とにかく中国に対しては強硬な外交を行なっている時期で、それでもなお不満を持つ人々がいた、と解釈しておきます。
(後日、詳しいことが分かったら直します)

参考人として取り調べを受けた肥田琢司氏は、後年衆議院議員となり、岸信介を後援したりされたようです。
若かりし頃から熱血漢だったんですね。

大隈重信は、口癖の「あるんである」が登場しています。


サンフランシスコから中国革命党員が入国していますが、これもこんなにあけすけで良いんだろうか、と思うような報道です。
まったく取り締まる様子もなく、袁世凱も、日本に対してはかなり困っていたでしょうね。


あとは非常に細かいですが、宮崎虎之助氏は自称予言者で、当時の奇人として有名だったようです。

佐藤紅緑は当時の流行作家で、昭和期に入ると少年文学の方面で大人気作家となる方です。「小さい秋みつけた」「リンゴの唄」などを作詞した、サトウハチローさんのお父さん、といった方が分かりやすいでしょうか。


芥川龍之介は、まだこの頃は東京帝国大学の大学生です。この「鼻」は、夏目漱石に絶賛されますが、夏目漱石はこの年に亡くなるので、漱石との交わりは本当短かったんですねぇ。

ということで、本日は以上です。


索引語:事件 大隈重信 議会 宗教 ロシア 航空 中国 災害 皇室 訃報 ドイツ バルカン諸国 第一次世界大戦

Posted by 主筆 at 2016/01/19/01:04

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