百年前新聞

2018-01-23

百年前新聞とは?

1916年(大正5年)2月22日から28日

大正5年2月23日

1916年(大正5年)2月22日

ハウス・グレー覚書が成立


ハウス大佐

アメリカのウィルソン大統領の顧問、エドワード・マンデル・ハウス大佐と、イギリスのグレー外務大臣の間で、ハウス・グレー覚書が成立しました。

中立国アメリカが和平会議を呼びかけ、ドイツが拒否した場合にはアメリカの対独参戦も視野に入れたものです。

その他の出来事

【文化】慶應義塾の評議会で、永井荷風が「三田文学」の編集と慶應義塾の教授を退くことが決定される。
三田文学の運営を巡って、永井荷風と慶應義塾側で対立がありました。

参考サイト:黙翁日録


【海軍】第一艦隊の旗艦が、「河内」から「扶桑」に変更。
扶桑は、前年に竣工したばかりの最新鋭艦です。


1916年(大正5年)2月23日


【社会】友愛会の平沢計七、野坂参三らが、労働者問題研究会を設立

【政治】貴族院でも八幡製鉄所拡張案が可決 (関連記事:衆議院の八幡製鉄所拡張議論

1916年(大正5年)2月24日

民間でも日露同盟を期待

東京日日新聞が、日露同盟への期待を社説で述べています。

要旨

・日英同盟は依然として外交の中心だが、事実上日英同盟は締結の当時と比べ必要性が薄れてきている。むしろ、日本に対して片務的になっているのではないか。

・日英同盟の効力が薄れたのは、日露、英露が接近したからで、これは日英両国にとって喜ばしいことである。更に日露の関係を深める必要がある。

・ロシアは、バルト海、黒海ともに門戸を閉ざされており、極東だけが交易の道である。

・ロシアは、シベリアに割いている兵力を、西側(ドイツ・オーストリア)に全て振り向ける必要がある。中国が親独政権であるため、極東にも目を向けざるを得ない状況にある。

・ロシアが中国に対する日本の優越権を認めることを交換条件に、日本が極東の平和維持に注力するべきである。

その他の出来事

【政治】大正5年度の予算公布。第37議会の協賛を得たため。約6億200万円。

【社会】貨幣法改正が公布、施行は4月1日より (関連記事

【アメリカ】駆逐艦16隻を、老朽化のため沿岸水雷艦へ。1902年就役の「スチュワート」など。

1916年(大正5年)2月25日

日本染料製造株式会社 創立総会

染料医薬品製造奨励法による国策会社、日本染料製造株式会社の創立総会が開かれました。

社長に中谷弘吉氏、取締役に藤山雷太など6名、相談役に渋沢栄一、大倉喜八郎、中野武営、片岡直輝、馬越恭平が選任されています。

参考記事:染料会社の株式人気

袁世凱が帝政延期令を発布


袁世凱

北京よりの電報によると、袁世凱大総統は23日、帝政を延期する旨の申礼を発布しました。

・雲南、貴州に乱があり、湖南や四川では人民の生活がおびやかされている
・心ない者が、帝政は袁世凱の野心といっている
・今、即位すれば、どういう事態があるか分からない
・よって、今後は即位の請願を行なうことを禁じる

第一次世界大戦 ヴェルダンの戦い

21日からのドイツ軍の攻撃により、ヴェルダン北方の要塞ドォーモン堡塁が陥落しました。

この事態に対応するため、フランス軍の総司令官ジョッフル将軍は、フィリップ・ペタン将軍をヴェルダン防衛の責任者に任命しています。


その他の出来事

【第一次世界大戦】フランス初の戦車シュナイダーCA1が製造開始

【鉄道】上武鉄道が秩父鉄道に改称

【訃報】小菅丹治(初代)
1859年生まれ。湯島の呉服店に奉公した後、伊勢屋丹治呉服店(後の「伊勢丹」)を創業されました。

1916年(大正5年)2月26日


チャップリンがミューチュアル社に移籍

イギリス出身の映画監督兼俳優のチャールズ・チャップリン(26)が、週給1万ドルにボーナス15万ドル、年額67万ドル(アメリカ大統領の年俸の7倍)という破格の契約金で、ミューチュアル社に移籍をしました。

これまでの週給1250ドルの契約と比べると、大幅に契約金が上昇しており、着実に大スターへの道を歩んでいます。


1916年(大正5年)2月27日


衆議院で人権保護法案が延期

鈴ヶ森お春事件での拷問による人権保護法案は、議会の会期が切迫しており、衆議院を通過しても貴族院の通過の見込みがないということで、賛成188、反対117の差で延期となっています。

関連記事:鈴ヶ森お春事件の拷問

その他の出来事

【学問】京都哲学会が発会、来会者400名ほど。

【文化】若山牧水(30)が青森に招かれ、短歌会を開く

【鉄道】東上鉄道(現東武東上線)が、川越~田面沢駅間の旅客営業を停止。1日の乗客数が40人に満たなかったため。

【訃報】加藤友太郎(陶芸家) 愛知県瀬戸市出身の陶芸家。美術的であり、化学的な作品を作り、人気となっていました。

訃報: 富田鉄之助 (実業家、政治家)


Wikipediaより

天保6年(1835)仙台藩士の家に生まれる。享年80歳。

江戸に出て勝海舟の門下となり、慶應義塾に進学。後にアメリカに留学し、経済学を学びました。
岩倉使節団が渡米した際に、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文らの知遇を得て、外交官となり、その後大蔵省に入省。日銀の創設に関わり、初代副総裁、2代目総裁となられました。

日銀退官後は、貴族院勅撰議員、東京府知事を歴任され、東京府知事退任後は日本勧業銀行、富士紡績、共立女子職業専門学校等の設立に関わっています。

妻は杉田玄白の曽孫で、日本で初めて夫婦契約書を交わした人物とされています。

1916年(大正5年)2月28日

【議会】第37帝国議会が閉会

訃報: 今村紫紅 (日本画家)

明治13年(1880)横浜生まれ、享年35歳。

17才で松本楓湖に弟子入りし、後に岡倉天心に認められ、日本画と洋画を融合させた独自の画風を作り上げられました。

代表作に「熱国の巻」があります。

訃報: ヘンリー・ジェイムズ (小説家)

前田青邨(せいそん)の談

今村君の芸術は、世間の毀誉褒貶を無視して、自分の信ずるところにズンズンと進んでいた。
氏はあくまでも自信をもって、ずいぶんと目先の変わった新しい試みを続けて、常に研究を怠らなかった。氏は特に色彩に関して自信があり、最近の研究としては南画を色彩でいくという企てがあった。作品は、直感的に理屈も何もなしに、急所をつかむという芸術であった。

逸話としては、先年安田靫彦君と私と三人で、某実業家のー別荘に招かれたことがある。座敷に通ると、今村君は絵を見て大いに怒り、酔ったふりをして「ひどいもんだ」「なっちゃいない」と、ベタベタに塗ってしまった。

酔うと踊りだすことも珍しくなく、腹芸などもやった。

今村君の死は、我が国美術界のー一大損失である。


1843年ニューヨーク生まれ、享年72歳。哲学者、心理学者として知られるウィリアム・ジェイムズの弟。

心理小説に優れ、代表作「ねじの回転」は心理小説の名作とされています。


この週に誕生日を迎えた人々


元田 肇 衆議院議員(政友会) 58
ルドルフ・シュタイナー 思想家、教育者 55
ジョージ・ハーバート・ミード 心理学者、哲学者 53
宮武 外骨 ジャーナリスト 49
ナデジダ・クルプスカヤ レーニンの妻 47
梁啓超 反袁世凱運動 43
河東 碧梧桐 俳人 43
与謝野 鉄幹 文学者 43
高浜 虚子 俳人 42
林 銑十郎 陸軍軍人 40
平沼 亮三 衆議院議員 37
アレクセイ・ルイコフ ロシア革命家 35
カール・ヤスパース 精神科医 33
三浦 環 オペラ歌手 32
チェスター・ニミッツ アメリカ海軍軍人 31


編集後記


第一次世界大戦では、先週勃発したヴェルダン戦が続いています。

フランス軍の防衛責任者となったフィリップ・ペタン将軍は、第一次世界大戦前までは大佐に過ぎず、出世が遅かった方ですが、第一次世界大戦での活躍により一躍司令長官になりました。

後に「ヴェルダンの英雄」として名声が高まり、ナチス・ドイツ支配下のフランスでヴィシー政府の国家主席となる方です。

この方も第一次世界大戦が無ければ、少将ぐらいで退官するはずだったところが、第一次世界大戦により大きく運命が変わり、フランスの運命を左右する人物となっています。


中国では袁世凱が、皇帝就任をついに断念しています。やや可哀想な気もしますが、結果論としては時代を見誤ったんですね。


あと、アメリカ大統領の特使ハウス大佐は、軍隊の大佐ではまったくなかったらしいです。ウィルソン大統領の信頼が厚く、この時代のアメリカの外交に活躍されています。


日本国内では、そんなに大きな出来事はありません。百貨店の伊勢丹は、伊勢屋丹治呉服店だったんだな、というのが個人的には発見でした。


今週は以上です。


索引語:アメリカ イギリス フランス ロシア 中国 地方 政治 文化 海軍 産業 第一次世界大戦 訃報 議会 鉄道

Posted by 主筆 at 2016/02/29/16:04

follow us in feedly
このエントリーをはてなブックマークに追加

前の記事へ 次の記事へ