百年前新聞

2017-08-21

百年前新聞とは?

1916年(大正5年)6月6日~12日

大正5年6月7日

1916年(大正5年)6月6日

袁世凱死去


重病が伝えられていた中華民国の袁世凱総統が、午前10時45分死去しました。死因は尿毒症とされています。

藤山雷太(東京商業会議所副会頭)の談

袁世凱という人に会って、私が最も深い印象を止めたのは、思いのほか砕けた如才のないという点であった。大総統という身分としては、まったく日本でいう平民主義の感じを受けた。

昨年10月29日、実業視察のため中国に渡り、総統府を訪れた時だった。上陸して(*総統府内に湖水がある)玄関先に行くと、ムクムクと太った老人が入口に出てきて、「やあ、ようこそ」と言っていきなり、私の手を握った。それが外ならず、袁世凱だった。

そして私を応接室に引っ張っていくと、手ずから椅子を引き寄せて「さあ、お掛けなさい」と、袁自身も私と膝を組合すばかりに腰を下ろし、「しばらくでした」と笑顔のちに雄弁が始まった。

部屋には花もあり、軸もあったが、ただ質素であった。「どうです、中国の菓子は?」とつまんでくれた。

2時間ほどの間に、袁世凱の座談は実業から美術、文学にも飛んだ。ただ政治のことは一つも話さなかった。話をしても巧みにそらした。話はすこぶる上手だ。

総督府では、「何年に何県」「何年に郡守」などの履歴があった。前年にはなかったので、これは袁が自分の偉さを示す、示威運動だ。

いざ帰るときにも、また入口まで送って堅い握手をする、船に乗るのを見送るという様子である。

いろいろ考えると、何か革命党の者にされたのではないかとも思われるが、何しろブクブク太っているので、中風などにはかかりやすい素質を持っていた。

いずれにせよ、今後の中国はますます騒ぎが大きくなるだろう。

内藤湖南の談(東洋史学者)

袁世凱の死が事実とすると、今の時局で皆、袁を中心として力こぶをいれていたのが、何やら張り合いが抜けたような心地がする。しかし、中国のためには非常な幸福と言わねばならぬ。

本人には気の毒だが、袁氏がもし生きているとすると、たとえ退位してもその後の紛糾があり、清朝が退位したときよりも、いっそう始末が悪かっただろう。

ともかく清朝が退位して今日までの時局を維持してきたことが功であり、せっかく治まろうとした国政を再び紛糾に陥らせたのが罪である。これらはすべて死とともに帳消しになったといってよい。

混乱した時局の収拾は、各自の私情を捨てて、枝葉の事柄を除き去ったのであれば、必ずしも困難ではない。
馮国璋、段祺瑞らが一致して政府を組織すれば、現在の財政の困難などは切り抜けることができるだろう。

外国といっても日本のような国を信頼して、最近の山東問題のような故なき衝突を得意としているようなことを慎んで、極めて平穏に時局の収拾に努力するということが急務である。

我が日本も態度を慎重にして、誠実に中央政府の整理を援助してやるのが至当であると思う。それは必ずしも内政干渉ではないのだから、外国から苦情が出ることもないだろう。

内田康哉談の要旨(元外務大臣、元北京駐在公司)

予が北京にいたころ、袁世凱は清朝の軍機大臣として活躍していた。
当時の交渉でも、譲るべきところは快く譲り、拒否すべきは断然拒否し、交渉はやりやすかった。中国との談判は容易に決しないのが常であり、これは人物が非凡である証拠である。

現在の中国で、袁の後継者はいるだろうか。たとえ才能があっても、袁のような貫禄を作るには相当の年月が必要で、そのために日中の国交が煩雑になることがないか、憂うところである。
袁世凱への反対派も対抗目標を失って、連携が弛緩していっそう群雄蜂起の状態になるかもしれない。

有体に言えば、時局の平定、南北妥協などは余程の難事であり、東洋はますます多事と言わざるを得ない。

第三回 三党党首会談


右:三浦梧楼、犬養毅 左:原敬、加藤高明

三浦梧楼邸で、原敬(政友会)、加藤高明(同志会)、犬養毅(国民党)の三党首会談が午後5時から開かれました。
4時20分に原敬、4時35分に加藤高明、犬養毅は定刻よりやや遅れての到着です。

晩餐を共にし、日中の外交方針に関する話をしようとした際、袁世凱死去の報道が伝わりました。
中国の重要人物の死去により、外交方針も新たに建てる必要があるため、また第四回目の会合が行われる予定です。

なお、三浦梧楼は後日記者会見を行ない、会談の模様を報告するということです。

その他の出来事

【地方】
長野県の佐久鉄道に、滑津停留所が開業。現在の小梅線。

【第一次世界大戦】
連合国軍がギリシャの対独接近を阻止するために、ギリシャを封鎖。軍の動員解除と内政改革を要求。

ブルシーロフ攻勢により、ロシア軍がルーツクを占領(現在のウクライナ北西部)

1916年(大正5年)6月7日

袁世凱死去の続報

後任大総統に黎元洪


黎元洪

袁世凱の死去により、後任大総統には副総統の黎元洪(51)が就任することとなり、自宅で就任式をあげています。
式は簡素に行われ、国務卿段祺瑞も出席しました。

独立を宣言した南方派(雲南・貴州・広東・広西など)は、黎元洪の大総統就任を求めていたため、直ちに兵をおさめるものと思われます。
国務卿(内閣総理)の段祺瑞氏を代表とする北方軍閥は、黎氏を傀儡にするのでは、という噂もあり、今後の政局が注目されます。

中国駐屯の日本軍

袁世凱の死去により、北京に動揺が走るのでは、と在留外国人の間で噂になっています。
万一の場合、連合国は日本軍に保護を依頼することは必然ですが、通常の動乱であれば十分な兵力が大陸に駐屯しています。

北京、天津:2個大隊
青島:6個大隊
漢口:1個大隊
満州:1個師団
独立守備隊(満鉄守備隊):6個大隊

下村忠助少佐の戦死報道、中佐に昇進

ユトランド沖海戦(5月31日)で、イギリス軍艦クイーン・メリー号に乗っていたイギリス駐在海軍武官 下村忠助少佐が、艦の沈没とともに戦死したことが発表されました。海軍省では5月31日付けで、下村少佐を中佐に昇進することとしています。

下村少佐は山形県米沢の出身で、享年35歳。海軍大学校では恩賜の銀時計を拝受した優等生でした。

その他の出来事

【第一次世界大戦】
ヴェルダンの戦い、ヴォ―要塞が陥落

ヴォ―堡塁の上部はドイツ軍によって6月2日に占領されていましたが、フランス側の指揮官ライナル少佐は地下通路に退き、暗闇の中で激戦が行われていました。
最後は飲料水が尽き、守備隊は降伏をしています。

1916年(大正5年)6月8日

三党党首会談 三浦梧楼が記者会見


三浦梧楼

三浦梧楼子爵(69)が自邸に新聞記者を招き、記者会見を行ないました。

三浦梧楼の談(要旨)

今や我が国は、千載一遇の時期にあたり、国家の発展を期待しなければならない。だが国内に強固な基礎がなければ、その目的を達することは出来ない。

予は隠居の身分で、二十年来国政に関わっていなかったが、国家の大事に当たって嘆息を洩らすだけでは君国のためにならず、また予自信のためにも面白くない。

予の宿論は元老総出で国家のことに当たり、挙国一致で国政に当たることで、大いに努力をしたが、元老は起つ見込み無く、失望をしていた。元老が予の希望を受け入れない以上、政党・政派の軋轢だけは止めようとしたのである。

昨春以来、国内の紛擾が絶えず、特に加藤高明の外交方針に対しては、予は大口を開いて攻撃したが、考えるに加藤のみが非難の対象となるべきものでもない。何人が局に当たっても、五十歩百歩の相違だろう。

昨年の御大典中、加藤高明と会見し、汽車中では原敬とも語り、三党の首領は大体、予の意中を諒とした。よってさらに思い切って、三者の会見を依頼し、予はお使い小僧となって会見を設定したのである。

第三回の会見(6日)では随分激論もあったが、そのような議論が現れたのは、予が満足としているところである。

こうして三党首の間に申し合わせた大綱は、以下のとおりである。

「外交、国防について一定の方針を定め、一致協同してこれに当たり、他のいっさいの事はこれを眼中におかず」

この細目に関しては、政党からの依頼もあり、10日までは発表を保留する。悪しからず了解してもらいたい。

三党首の申し合わせは大請負に過ぎず、その下請負として、各派より2名の委員を出して、適宜協議することとした。

今後の三党首会談の場所は、結局三党首において順回りにすることとした。

元老に対しては、予は既に匙を投げているので、別にこの意を伝えない。

新聞紙評

原さんの声はまことに細く、やわらかい。加藤さんの声は太く、ぶっきら棒である。両者ともに、政治以外には趣味は持たない人だが、加藤さんは見かけによらず、端唄が上手である。

加藤さんは何でも理詰めで、ややクドイ気味がある。原さんは苦労しただけ、いわゆる判りが良い。加藤さんは筋道の曖昧な金は、びた一文出さない。そのかわり必要と認めれば、未練なく万金を投げ出す人である。

原さんの笑顔は複雑なところがあり、冷たい感があるが、加藤さんが笑うときはまったく人違いしたように温かみが湧く。原さんはおかしくなくてもちょっと笑う人、加藤さんは笑いがのどを突き上げてこなければ決して笑わない人。フランスで仕込まれた人と、イギリスで仕込まれた人の差がある。

加藤さんは重く、原さんは鋭い。加藤さんはどこまでも真正面から、力ずくで押し返そうとする人。原さんは常に潮加減を見て立つ人である。

二人とも非常に冷ややかな人のように思われているが、実際はかなり温かい人だと、昵懇者は言っている。

犬養さんのことを書かなかったが、決して忘れているわけではない。隼のような目、あくまで理智の弁を進めて、言いたい事を言ってしまうあの声。いずれも強い特徴であって、原さんと加藤さんとは、あまりに色彩が変わっている。それで別に書いたのだ。

黎元洪が施政方針を発表

新たに大総統に就任した黎元洪が、施政方針を明らかにしています。

・政務、軍務は、責任内閣を信頼し処理する。段祺瑞国務卿とも相談し、人事を決める。
・旧国会を召集し、速やかに憲法を制定する。
・北京救済のため、銀行の兌換を復旧する。

黎氏には兵力がなく、傀儡ではと噂されていましたが、部下を率いて忠勤を示す軍もあり、黎氏の地位は案外強固かもしれません。

その他の出来事

【経済】
日本銀行が1円兌換券の発行限度を3,000万円から3,500万円に引き上げ

【社会】
大日本農会が社団法人となる。

【第一次世界大戦】
・ブルシーロフ攻勢で、ロシア軍がルーツィク(ウクライナ西部の都市)を占領
・ヴェルダン戦でティオモン堡塁が陥落
・フサインがイギリス・フランスと同盟を組み、オスマン帝国への反乱が始まる
(フサイン=マクマホン協定)

1916年(大正5年)6月9日

日本が天津に増兵

袁世凱の死去により、北京・天津等に居留する外国人、また中国人の間にも不安の声があります。

日本兵増加の希望があり、日本政府は満州駐屯の一大隊を天津に派遣することとしました。

その他の出来事

【満州】
朝鮮銀行・中国政府間で、奉天省借款100万円が成立

1916年(大正5年)6月10日

大隈首相襲撃事件の判決 主犯格二人は無期懲役に

1月12日の夜に大隈首相が襲撃された事件の裁判が東京地方裁判所で行われました。

主犯格の福田和五郎、実行犯の下村馬太郎に無期懲役、鬼倉重次郎、和田政吉には懲役15年が申し渡されています。

なお、計画を知っていたと思われる肥田琢司氏は無罪の判決となりました。

検察側、被告側も控訴をしています。

鬼倉重次郎の上申書(要約)

本件は福田氏という先輩の意見を聴いて奮起したものでもなく、福田氏の意見に服従しないといけない立場でもありません。

私どもの同志では、尾崎法相、波多野宮相、黒岩周六(万朝報社主)の3氏に制裁を加え、三島弥太郎(日銀総裁)、石井外相、武富逓相などに示威的警告を与えるべく、昨年12月上旬から計画しました。

大隈伯に関しては、在野の政客の間では、すでに数組の刺客が徘徊しているということでもあり、また現内閣は貴族院のために必ず顛覆するという確信を持っていたので、除外していたのです。

福田氏に爆弾の費用を補助してもらうよう相談した際に、下村君が大隈伯をやるというあら、この際君も呼応してはどうか、そうすると現代を覚醒することができるという話があり、下村君に同道することになったのです。

三党首会談の覚書

同志会、政友会、国民党のそれぞれの本部で、三党首会談の覚書が発表されました。

(甲) 外交および国防の方針はつとめて一定し、この遂行には各自党派の省長に関せず、誓って一致協同するは勿論にして、外界いっさいの容喙(ようかい)を許さざること

(乙)対支方針は、東亜永遠親好の目的をもって、相互利益の増進を図ること。国防費は相当の限度を定め、その範囲において塩梅、処理させること。

国民党臨時協議会での犬養毅の報告


甲号は極めて簡単だが、重大な意味が含まれている。

外交の方針を一定して遂行するためには、政府各部の行動を統一し、各部の任意の行動を制限する必要がある。これは重大かつ困難なことだが、三人が協議して決定した上は、誠心誠意、一致協力して実行を謀る必要がある。自党の中に異論があっても一切頓着せず、この誓約を厳守する責任がある。

三党の協同による権威で、我が国多年の弊害である、外界一種勢力の容喙を断絶せんと欲するのである。(*外界:元老、軍、実業界など)

同志会議員会での加藤高明の報告


同志会においても議員会が開かれ、加藤高明が三党首会談の報告をしました。

小林勝民、斎藤宇一郎の両議員からの質問がありましたが、加藤氏が回答し、それ以上の質問はありませんでした。

(以下、報告概要)

三浦子爵と会合し、国事の重要なこと、特に外交に関して国内に異論が多く、往々外に向かっての力が弱まる、まことに憂うべき現象であるということで、私は大体において至極同感であるから、その旨をもって答えた次第であります。

もちろん外交も国政の一部である以上、世間の議論に上らないということは出来ない。また上げなければならない場合ももちろんあるのだが、必要の限度を超えて、政府当局を攻撃するとかいうために、外交を利用するということは、はなはだ憂うべき事柄である。

原君も犬養君も大体同感ということであったから、実行は随分難しいが、この目的遂行のためにできるだけ努力をしましょうということである。

「対支方針は、東亜永遠親好の目的をもって、相互利益の増進を図ること」とあるが、相互とは日支両国のことである。この趣意においては、何人も異論はなかろうと思う。

外国人の中には、日本が中国に対して領土的野心をもっているという、疑いを持っているものがある。中国人も疑っているかもしれないから、これをさらに宣明することとしました。

今回のことには、役に立たないという評論もありますが、難事ではあるが、できるだけ正しい方向に向かって進むことができるよう、微力ながら力を加えたい。このために外交上の無用な政争を避けることができれば、まことに結構である。この弊害がまったく杜絶せぬまでも、いくぶん減少するだけでも結構である。

私だけでなく、他の二君も同様だと思っております。

政友会協議員会での原敬の報告


三浦子爵が先般依頼、政局について深く憂慮の結果、「政党として国防、外交について一致点を見出しては」と会合を催されてのである。

自分としてはもとより異議なし、幸いに一致点を見出せばよし、見出せなければそれまで、として、互いに腹蔵なく意見を交換した。そして別に異論も起こらず、意見は一致したのである。

この会合の結果、政党の働きは停止するように言うものもあるが、政党の主張は外交・国防のみではない。

自分は誠心誠意をもってこの会合にのぞみ、十分その実行を望む次第である。諸君においても誠意をもって、実行に当たられんことを、切望するものである。

中正会、公友倶楽部の反応

与党の一角である中正会は、自派の存在を無視されたとして感情的な反対もありましたが、会の性質上、賛否は差し控えています。

公友倶楽部では、国論一致の申し合わせを歓迎しています。

南方派が時局収拾の声明を発表

独立宣言をした南方諸省の代表(唐継尭)より、袁世凱死去、黎元洪大総統就任のため、四ヶ条をもって独立を取り消す旨の声明がありました。

・政府は法治を目的とし、強力によらないこと
・民国元年の約法を復活すること
・国会を召集すること
・臨時内閣を組織し、政府の職務を執らせること

その他の出来事

【社会】
来日中のタゴール氏が「印度から日本への使命」を東京帝大で講演
西洋文明を批判し、近代の問題はアジア人によって解決されるとの趣旨。

【社会】
民間飛行家の中沢家康が都城で飛行会を行ない墜落。(200メートルの高度から突然墜落)
見物の2名が即死。重傷2名、中沢氏は大腿骨骨折。

【第一次世界大戦】
アラビア半島北西部で、ヒジャーズ王国が独立を宣言。
また、紅海沿岸のジッダ港へ3500名のアラブ兵が突入し、海上からはイギリス・フランスの軍艦が支援を行なっています。

1916年(大正5年)6月11日

孫文が黎元洪にあて通告

上海からの来電によると、孫文が黎元洪水にあてて、通告を発しました。

・約法を回復し、国会を尊重すること
・袁世凱がみだりに制定した制度を排除すること

を行なえば、時局が定まるという内容です。

その他の出来事

【陸軍】
日本初の戦闘機「会式七号小型飛行機」が完成。6月13日にテスト飛行予定

訃報:ジーン・ウェブスター (アメリカの作家)


Wikipediaより

1876年アメリカ・ニューヨーク州生まれ、享年39歳。

障害者や孤児院の施設で教えた経験から、1912年に「あしながおじさん」(Daddy-Long-Legs)を出版。今なお読み継がれる文学となっています。

1915年に結婚し、1916年6月9日に女児を出産しましたが、産褥熱により39歳の若さでこの世を去りました。

1916年(大正5年)6月12日

同志会が中正会、公友倶楽部に連合大会を提案

三党党首会談で蚊帳の外に置かれた中正会、公友倶楽部に対して、同志会が与党三派連合大会を提案しています。

第二次大隈内閣の与党である三党の結束が乱れないようにする動きです。

内務省の保険調査会官制に関する内閣統計官のコメント

日本人の死亡率は、小児、15歳~25歳の間で、英独に比べて約三倍であり、これは極めて重大な問題である。今度の保険調査会も、この点から計画されたものと思われる。

乳児の死亡率が高いのはなぜか。
社会組織が漸次複雑になってきた結果、親たちの生活が忙しくなり、母が子供を他人に任せて仕事につく、というようなことだろうと思われる。しかし、実際には分からない点がたくさんある。

外国の衛生理論を採用するにも限界があって、例えば外国では牛乳や肉類の衛生調査は厳密にやっているが、魚や米の衛生調査はない。この点も、今回の調査会で留意するものと思われる。

唐紹儀が黎元洪、段祺瑞に電報


唐紹儀

元国務総理で上海在住の唐紹儀氏が、黎元洪大総統に対して、

・約法の回復
・大総統の選挙法の回復

の実行を求める電報を発しました。

また段祺瑞国務卿に対しても同様の電報を発し、北京の秩序維持に関する感謝の意も付言しています。

その他の出来事

【教育】
教育調査会の総会、学制改定案の延期を採択

【社会】
大阪鉄工所でスト、全員解雇

【アメリカ】
戦艦「ペンシルベニア」就役。
(後に真珠湾で攻撃され、第二次世界大戦でも活躍。ビキニ環礁で原爆実験の実験艦となる)

【第一次世界大戦】
ドイツ軍人ルドルフ・ヘスが、ヴェルダンの戦いで重傷をおう(22)

【イタリア】
ローマ・フィウッジ鉄道の一部が開業。
(現在の、ローマ・ジャルディネッティ線の一部)

この週に誕生日を迎えた人々

リヒャルト・シュトラウス作曲家(オーストリア)52
カール・ニールセン作曲家(デンマーク)51
陸徴祥中華民国前国務総理45
アレクサンドラ・フョードロヴナロシア皇后44
トマス・マン作家-ドイツの正当性を主張41
李 根源中国南方派参謀37
神近 市子東京日日新聞記者、大杉栄愛人28

索引語:アメリカ インド 中国 中東 事件 健康・医療 加藤高明 原敬 司法 地方 政治 教育 犬養毅 満州 産業 社会 第一次世界大戦 航空 訃報 鉄道 陸軍

Posted by 主筆 at 2016/06/13/12:35

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