百年前新聞

2017-08-22

百年前新聞とは?

1916年(大正5年)8月8日~14日の出来事

大正5年8月9日

1916年(大正5年)8月8日の出来事

出来事

【産業】
特別用塩規則が公布(施行:9月1日)工業用の塩が値下げ。

【地方・鉄道】
三重県の伊賀軌道が、上野駅連絡所~上野町(現上野市)間で開業

訃報:山葉 寅楠(やまは とらくす) ヤマハ創業者


ウィキペディアより

1851年(嘉永4年)紀州藩士の家に生まれる。享年65歳。

1871年に長崎に出て、イギリス人から時計修繕を教わります。
その後は医療器具の修理工として働き、1884年から浜松支店に勤務。

1887年に浜松尋常小学校の輸入オルガンの修理を手掛け、オルガンの構造を知り、翌年に国産初のオルガン製作に成功します。

1889年に山葉風琴製造所を設立、一旦廃業したものの、1897年に日本楽器製造社を立ち上げました。

1899年にはアメリカを視察し、帰国後アップライトピアノの作成にも成功しました。

1916年(大正5年)8月9日の出来事

出来事


【経済】
日本銀行が、改造1円券の様式告示。発行番号がアラビア数字になる。

【社会】
アワビ及びナマコ製品取締り規則発布
乾しアワビ、缶詰などの販売時に原産地表示を義務付け

【アメリカ】
カリフォルニア州のラッセン火山公園が、国立公園に制定される
1914年から続く火山活動のため。

ナイアガラの滝に、観光用ロープウェイが出来る

1916年(大正5年)8月10日の出来事

コレラの流行広がる

10日、神戸から尼ケ崎汽船「新敬神丸」が、大阪の安治川に入港。
船客の一人の容態が怪しく、検疫所の係員が調べたところ、コレラ菌を発見しました。

新敬神丸は、大阪~長崎を回遊する定期船ですが、佐世保、平戸、伊万里、呼子、唐津、博多、下関、門司、今治、三島、多度津、神戸に停泊しており、各地で感染が広がっているおそれがあります。

船員は隔離され、病人が嘔吐した安治川では魚釣り、洗濯が禁じられました。

大阪でのコレラ発生は大正元年以来です。

中国の国会状勢

国会が再開することになった中国では、20日より本格的に国会が行われる予定です。

国会での勢力を見ると国民党が優勢ですが、国民党党内では段祺瑞内閣承認派と、(南方派の)唐紹儀内閣新設派に分かれており、容易にまとまりそうにありません。

その中で、南方派だった梁啓超は段祺瑞と気脈を通じていると言われ、梁啓超の変節に非難の声があるようです。

その他の出来事

【社会】
東京高等商業学校(現:一橋大学)の同窓会「如水会」が文部大臣の認可を得て、社団法人となる

【アメリカ】
連邦準備制度(FRB)の議長が、初代チャールズ・ハムリンから2代目のウィリアム・ハーディングに交替

1916年(大正5年)8月11日の出来事

大隈重信が留意を表明

辞意を表明していた大隈重信首相が、朝鮮総督寺内正毅との交渉が不調に終わり、留任することに決めたようです。

11日午前9時30分より、大隈首相は目白の椿山荘を訪問、山県有朋と2時間ほど協議しましたが、これが最後の交渉となりました。
12日に大隈首相は、日光に避暑中の陛下に拝謁し、留任の意思を告げるものと思われます。

大隈首相は、現内閣の閣僚をそのまま留任させるか、もしくは立憲同志会(加藤高明党首)を与党とする条件で、朝鮮総督寺内正毅に後継となるよう交渉していました。

寺内正毅はその要求を拒否し、元老の山県有朋も寺内正毅と同意見です。

首相がそのまま辞任するか、それとも留任するかの二者択一となっていましたが、大隈重信は留任を選択、勅許を仰ぐことになりました。

関連記事:7月6日 大隈重信の辞意内奏

その他の出来事

【労働問題】
横浜船渠の旋盤労働者が解雇され、職工側は解雇取り消しを要求するも、拒否される
参考サイト:法政大学大原社会問題研究所

1916年(大正5年)8月12日の出来事

電車割引時間短縮への復旧運動

7月から行われた東京市の電車値上げに際し、労働者の朝7時までの電車割引時間を6時までに制限したことに対し、復旧運動が起こりました。

「電車時間復旧期成同盟会」が発足し、高木益太郎衆議院議員、横山勝太郎市会議員などが運動の先頭に立っています。

奥田義人 東京市長の談(要約)


奥田義人

今回の時間短縮問題に対する不平は、つまるところ労働者に関する問題である。

僕は昨年の夏、2回ほど割引電車に乗ってみたが、割引者にたくさんの労働者じゃない人が乗っているのを見て、これではならんと、電気局員や委員と協議した。

労働者には学生と同様に回数券を販売して、割引時間などはやめた方が良かろうと発議したが、その労働者の範囲を決めるのが困難なため、この案は用いられなかった。

よって割引時間を4時半から6時までとしたが、これは労働者が朝早くから仕事に出かけ、依るは早く帰ってくる方が、健康上にもはなはだ良いことであるし、工場の灯火の節約にもなるから、決定したのである。

関連記事:7月6日 通学券への姓名記入に関する奥田市長の談

宗社党と張作霖の戦い

満州・蒙古では、清朝の再興を目指す宗社党の活動が活発になっており、奉天将軍の張作霖がその平定に努めています。

11日には激戦が行われ、張作霖側の死者1名、宗社党側は死者10名、負傷者多数との報告がありました。

大連や長春などの都市でも宗社党の動きがあり、日本の官憲も厳重注意をしています。

関連記事:6月27日パプチャップ軍の進撃

大隈首相留任に対する非難(時事新報)

大隈首相が辞意を内奏したことは明らかであり、それをまた留任を上奏するということは、はなはだ憂うべきことである。

大正の時代に入ってから、政治家の進退について優詔、聖旨など、陛下の御思し召しに関する言葉がしばしば用いられている。

大正政変は、故桂(太郎)公が特別な優詔を得たとしたことから始まった。新帝を政治利用しようとしたことから始まったのである。

この点を後年の政治家は鑑みるべきところだが、昨年の8月にも大隈首相は優渥なる聖旨により、ということで留任したのである。

大隈首相が辞意を内奏したことは明らかであり、寺内との交渉が不調に終わったからと言って留任するということは、またやむを得ず聖旨によって留任したと言う以外ないだろう。

このように政治家の進退について聖旨を云々することが多いということは、よいことだろうか。

憲政が次第に進歩するに伴い、政治家の責任はますます重くなっているが、聖旨云々を口にするということは、恐れ多いことでもあり、国民が政治家を軽く見ることにもなり、皇室に累を及ぼす憂いもある。

その他の出来事

【文化・芸術】
パリのモンパルナスを訪れた詩人のジャン・コクトーが、モンパルナスで活動する芸術家の写真を撮影する。(写真は、そのうちの一枚)

【第一次世界大戦】
ロシア大使が、中国の参戦に関して、日本政府の援助を希望する


モディリアーニ、ピカソ、アンドレ・サルモン

1916年(大正5年)8月13日の出来事

横浜でコレラ患者が続出

横浜市保土ヶ谷町の料理人(24)が体調不良を訴え、診断の結果コレラと判明しました。
また、三浦郡田浦町、久良岐郡日下村でもコレラ患者が発生しています。

御大典記念タバコ「八千代」が不振

昨秋の御大典を記念したタバコ「八千代」は、3月に製造を中止しましたが、在庫品の売れ残りが大量にあります。

市内の小売によると、「敷島を10とすると、バットが8、朝日が5、八千代は3」の売れ行きだそうです。

専売局では、9月いっぱいに在庫を消化する計画です。

関連記事:1915年10月31日 御大典記念煙草八千代発売

出来事

【日本・中国】
鄭家屯事件:満州で中国軍と日本軍が衝突 (後日、詳細報道あり)

訃報:フリッツ・シュタインバッハ (ドイツ 音楽家)


1855年生まれ、享年61歳。

1886年、リヒャルト・ワーグナーの後を継いで、マイニンゲン宮廷楽団の楽長となります。
ブラームスに傾倒し、ブラームスの曲を多数演奏、ブラームス本人を招いた音楽祭も開催し、マイニンゲンをブラームスの町にしようと計画しました。(計画はとん挫)

1903年からはケルンに移り、ケルン音楽院院長、ギュルツェニヒ管弦楽団の指揮者として活躍されています。

1916年(大正5年)8月14日の出来事

鄭家屯事件:日本守備隊と中国軍の衝突

中国の鄭家屯(ていかとん)において、13日、日本守備隊と中国軍の衝突がありました。

奉天将軍の張作霖は、この報告に非常に憂慮し、円満解決に向けて動きを始めています。

(第二報)

13日午後7時頃、鄭家屯の日本人商人が中国官憲により殴打、引致されたため、日本領事館の巡査が取り戻そうと出かけたところ、中国軍から威嚇されました。
領事官の巡査は日本守備隊に護衛を求め、20名の兵隊とともに再度巡警局に出向いたところ、中国兵から不意に射撃を加えられたということです。
巡査は即死、日本兵17人が死傷を負いました。

鄭家屯の中国兵は500名程度、日本兵は60人程度です。この急報により、日本軍も応援部隊を差し向けました。

鄭家屯は、現在計画中の四平鉄道の終点になる地点で、物産の集積地です。辛亥革命時には、日本人はわずか20名程度でしたが、現在は140名程度が滞在し、多くは売薬の行商人です。


コレラ感染の拡大

長崎でのコレラ患者は、14日までに109名、内48名が死亡しています。
入港する汽船は、乗組員の上陸を禁じています。

千葉県の船橋で漁師1名も死亡、昨月末に横浜に行った際に感染した模様です。
下関でも1名死亡、熊本でも感染者が確認されました。

その他の出来事

【社会】
ブラジル移民組合の神谷忠雄がサンパウロ州との交渉に成功。渡航補助費を受けて年間4~5千人の移民を送る協定に調印。
(1914年に渡航補助費が打ち切られ、ブラジル移民は途絶えていましたが、第一次世界大戦で、ヨーロッパからの移民が途絶えているため、日本人移民が再開)

参考サイト:ブラジル移民の100年

【満州】
巴布札布(パプチャップ)軍、宗社党支援のため満鉄沿線の郭家店に到達

この週に誕生日を迎えた人々

日比 翁助三越呉服店会長56
黒田 清輝画家、東京美術学校教授50
本多 静六東京帝国大学農科教授50
宇垣 一成陸軍少将48
福澤 桃介実業家、名古屋電灯社長48
三土 忠造衆議院議員(政友会)45
カール・リープクネヒトドイツ社会主義者(投獄中)45
ハーバート・フーヴァー戦争被害者へ食糧提供活動42
南 次郎陸軍大佐42
ヴィクター・ブルワー・リットンイギリス海軍スタッフ40
土肥原 賢二陸軍大尉、中国で工作活動33
唐 継尭中国南方派幹部33
荒畑 寒村社会主義者29
吉川 英治講談倶楽部へ応募中24
鳥居 篤治郎東京盲学校学生22
藤村 富美男広島県呉市に誕生0

編集後記

満州で日本軍と中国軍(張作霖軍)の衝突が起こっています。

満州状勢は複雑で、政府は奉天借款を結ぶなど張作霖を支援しておきながら、陸軍の一部は5月27日に張作霖の暗殺未遂を行なっています。
宗社党(清朝の再興を目指す動き)と連携した蒙古軍(パプチャップ)に対しても、大陸浪人の川島浪速と関東軍の一部が、支援をしています。

こういった状勢の中で着々と力をつけていった張作霖はすごいな、と思いますが、結局は日本軍によって殺害されてしまう運命にあるんですよね。


大隈重信の留任表明は、寺内正毅への政権移譲がうまく行かなかったので、やむを得ず、というところですが、良くも悪くも大隈重信らしいエピソードです。

山県有朋と距離を置いている同志会を与党として、山県子飼いの寺内正毅が首相になることはないし、山県有朋が許すことも無いと思ってしまいますが、それをしようとするところが大隈重信らしいです。

また、それがうまく行かなかったら、そのまま辞任するという選択肢も当然あったはずですが、それをせずに留任してしまう、しぶといところも大隈重信らしいです。


その他、ブラジルへの日本人の移住が、第一次世界大戦でヨーロッパの移民が途絶えたので、日本人移民の奨励が再開した、というのも、興味深く思いました。

では、今週は以上です。


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Posted by 主筆 at 2016/08/15/23:19

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