百年前新聞

2017-12-17

百年前新聞とは?

1916年(大正5年)8月15日~21日の出来事

大正5年8月16日

1916年(大正5年)8月15日

鄭家屯事件続報

陸軍省に届いた電報を総合すると、事態は下記のとおりです。

・13日午後9時頃、鄭家屯の日本人が中国兵に殴打されたため、日本の駐在巡査が中国軍隊に赴いたところ、銃によっておどされた。
・巡査は、松尾中尉以下20名の護衛兵ととともに中国軍に赴くと、包囲されて射撃を受けた。
・14日、四平街、公主嶺の駐屯兵を増援のために鄭家屯に派遣。現在も戦闘が行われている模様。

これまでの日本の損害は死者11名(内、2名は民間人)、負傷者は6名です。

鄭家屯守備隊 井上大鬼智大尉(中隊長)の報告

13日の午後4時30分頃、在留邦人が市内を通行中、中国の第二十八師団騎兵第二十八連隊の兵卒と衝突した。
同人は中国兵が多数であることから、行き過ぎようとしたが、後ろから中国兵より殴打された。

同人は日本領事館に駆け込み、領事館駐在の川瀬松太郎巡査が二十八連隊の宿舎に行ったが、中国兵は銃を向けて近寄ることができなかった。

川瀬巡査は守備隊に護衛兵の派遣を要請し、余は護衛として松尾中尉以下20名を現場に赴かせた。

松尾中尉は、殴打した中国兵に面会を申し入れたが、隊長は聞き入れず、かえって「多数の日本兵を率いてきたのは、戦闘の意思があるのでは」と詰問された。
決してその意は無い旨を伝えたが、中国兵は耳にせず、遂に銃をとって射撃の姿勢をとった。

日本兵も対抗上、銃を構えて射撃の姿勢をとったところ、中国兵から射撃され、日本兵も射撃をすることになった。

中国軍の宿舎内のため、日本側には多数の死傷者が出た。

中国官憲からの謝罪

奉天将軍張作霖の命を受けた使節が奉天領事館を訪れ、今回の事件に関し深く謝罪の意を表しています。

陸軍省での会議

15日午後1時より、大島陸相、山田次官、奈良軍務局長、井上軍事課長らが会合し、鄭家屯事件に対する会議を開き、以下の声明を発表しています。

暴行を加えた中国兵は、蒙古軍(パブチャップ)討伐に赴く途中で興奮していたため、今回のようなことになったのであろう。
決して計画の下に出た事件ではないと思われるが、中国側から仕掛けられたことであり、動機のいずれを問わず、重大な事態であることには相違ない。

陸軍省としては、中国側の責任を問うべく、外務省および参謀本部と協議を行う。

外務省支那課長の談

今回の事件は、実に重大事件である。
事件の報が張作霖に届き次第、張作霖は奉天総領事に向けて、今回の出来事に関しては遺憾に堪えない、善後策は日本と協議していかようにも取り計らうから、事を穏便にしてもらいたいという懇願をしてきた。

張作霖の軍事顧問である、町田少佐が現場に向かっているところである。
今後の交渉は、鄭家屯ではなく、奉天で行われることになると思う。

新聞紙(大阪毎日)の論調

日支条約により、日本人は満蒙各地に自由に居住、営業する権利を得た。
中国の警察は、日本人を保護する義務があるにも拘わらず、日本人迫害事件が続出し、今回のような事変も起こった。

中国の警察により日本人を保護することができないことが証明された以上、日本は自ら保護する方策を講ぜざるをえない。
日本自らが守備する手段を講じない限り、満蒙の開発は到底期すことができないだろう。

横浜船渠でストライキ

横浜船渠(ドック)会社の旋盤部職工50名が、同僚1名が職長から解雇を申し渡されたことを不服とし、14日にストライキを計画。
15日には職工260名も参加し、ストライキが開始されました。

解雇を申し渡された職工は、7月28日から8月8日までの12日間無断欠勤していました。同人は友愛会に向かって調停を依頼し、友愛会の横浜支部は13日に横浜船渠会社の専務と面会、14日までに回答を得る予定になっていました。

職工側の言うところによると、内山職長はえこひいきのある人で、今回の件もえこひいきがあるということです。
無断欠勤していた職工は、職工頭には休むことを告げていたが、職工頭が職長に伝えるのを忘れていたか、職長が知っていて知らないふりをしているかのどちらかであるとのこと。
職工が休んだのも、親戚の不幸と病気が重なったため、ということです。

帝国飛行協会の練習生募集

帝国飛行協会では、中学卒業程度の学力を有し、身体壮健の者で練習生を2名募集していましたが、志願者が数百名となっていました。
そのうちから20名に対し採用試験を行ない、数日後に結果を発表するということです。

その他の出来事

【外交】
閑院宮載仁親王をロシアへ派遣することが決まる。(9月11日出発)
*閑院宮載仁親王は陸軍大将、後に参謀総長

【海軍・航空】
4月1日入隊の追浜海軍飛行隊の一期生が単独飛行に成功
関連記事:3月18日 海軍航空隊令が公布

【地方・鉄道】
群馬県の緑野馬車軌道で、藤岡 - 鬼石間の営業中止。レールが古くなり、修繕個所が多数となったため。

【第一次世界大戦】
ルーマニアが、オーストリア領トランシルヴァニアに向けて進軍開始

1916年(大正5年)8月16日

鄭家屯事件続報

13日に勃発した鄭家屯事件ですが、中国兵が城外に退去し、戦闘が終了したという情報が外務省に届きました。
居留邦人113名も、皆無事です。

新聞紙の論調(東京朝日)

今回の事件は極めて重大である。
もしこのようなことが欧米列強との間に起これば、中国はどんなことを要求されるかも分からないが、帝国(日本)は日支親善の方針により、慎重に真相を調査したうえで、交渉を開始するべきである。

横浜船渠のストライキが収束

昨日からの横浜船渠のストライキは、友愛会の鈴木文治会長の斡旋により、収束に向かいました。会社側は職工の解雇をとりやめ、労働者側も職長の罷免要求を取り下げています。

16日に鈴木会長が横浜を訪れ、職工側の意見を聴き、一任を取り付けました。
午後六時から会社側と協議し、2時間の会議を経てお互いの要求を取り下げる形になりました。

蒙古軍が郭家店を占領

14日午後、パプチャップ率いる蒙古軍が郭家店に進出し、15日に郭家店を占領したという報道がありました。
蒙古軍は3000人、張作霖は400名の応援部隊を差し向けましたが、戦況が思わしくなく、部隊は退却しています。


その他の出来事

【社会】
来日中のインド詩人タゴールが、渋沢栄一の招待を受け渋沢邸を訪問

【社会】
第二回全国中等学校優勝野球大会が開幕(豊中球場)

【国際】
アメリカとカナダで、国際渡り鳥条約が調印される
(ヨーロッパでは1902年)

【フランス・音楽】
作曲家のガブリエル・フォーレ(71)が、ヴァイオリン・ソナタ第2番に着手したことを妻宛ての手紙で知らせる

1916年(大正5年)8月17日

鄭家屯事件の続報

張作霖と部下の対立


張作霖

奉天将軍張作霖は、事件を起こした第二十八師団の馮麟閣師団長を詰問し、師団長自らが関東都督に出向き、部下の罪を謝罪するように命じました。

馮麟閣と張作霖は普段から関係も悪く、馮麟閣はこれを聞き入れず、蒙古軍が来襲したことを幸いに、現場に急行しています。

日本軍の増援部隊が到着

公主嶺からの応援部隊、騎兵二個中隊160名が鄭家屯に到着。中国兵は既に城外に出ているため、街は平穏を取り戻しています。

中国側の公報が発表される

北京政府から鄭家屯事件に関する公報が発表されました。

この公報によると、日本側から発砲したことになっており、また日本軍が県知事、商務総会会長を捕縛したことは国際法違反で、日本側にも非があるとしています。

北京英字新聞の報道

北京の英字新聞「北京ガゼット」は、事件の調査を明確にし、日本が威嚇的方法をとらないよう、自重することを求めています。

その他の出来事

【社会】
東京でもコレラ発生の報告(大森にて)
神奈川県がコレラ予防のため、出漁、遊泳を禁止(東京、千葉も追随)

【文化】
東京帝国大学を卒業したばかりの芥川龍之介が、友人の久米正雄とともに千葉県一宮町を訪れる。
参考サイト:一宮館

【第一次世界大戦】
ヴェルダン戦で、フルーリー要塞をフランスが奪回

訃報

ポール・ケクラン (フランスの実業家・パイロット)

1881年生まれ、享年35歳。
飛行機制作をするかたわら、飛行学校も設立。
第一次世界大戦に従軍し、負傷して死亡。

ウンベルト・ボッチョーニ (イタリアの画家・彫刻家)

1882年生まれ、享年34歳。
画家、彫刻家として活躍し、イタリアの0.2ユーロ硬貨のデザインに、彫刻が採用されています。
第一次世界大戦に徴兵され、騎兵の訓練中に落馬、馬に踏まれて亡くなられています。


0.2ユーロデザインに採用された彫刻

アルジャーノン・ミッドフォード (イギリスの外交官・政治家・貴族)


若き日のミッドフォード

1837年生まれ、享年79歳。

1858年に外務省に入省し、ロシア、北京を経て、1866年(慶應3年)に幕末の日本へやってきました。
パークスの部下として、幕末の外交に携わっています。

アーネスト・サトウと共に、日本で初めて旅行をした外国人でもあり、帰国後には赤穂浪士の話を初めて英語で出版しました。

1870年に帰国後は、建設庁長官、庶民院議員、貴族院議員を歴任され、1906年にイギリス大公と共に、明治天皇に英国勲章を授けるため、再来日を果たしています。

1916年(大正5年)8月18日

北里柴三郎がコレラ流行にコメント


今回のコレラの系統は、マニラの病毒が輸入されたものと思われる。

最初、横浜に停泊中のハワイ丸で患者が発見されたのが、本年の最初のコレラだったが、この船はマニラから神戸に入港して、アメリカ行き移民を搭載して、その乗客中の移民が発病したものである。

神戸から乗った客だから、神戸に既に病菌があったとも言えるが、マニラからの乗客から感染したものだろう。

僕は(熊本に帰省中に)神戸を通過したので、福田港務官に「なぜハワイ丸のコレラを神戸で発見しなかったのだ」と問うてみたが、「平常の検疫はしていたが、まだコレラ発生の報を聞いていなかったので、検便まではする訳にいかなかった」ということで、全くの話である。港務官を責めるべきではない。

むしろ、なぜマニラにコレラ患者があることを、マニラ駐在の領事が報告しなかったのか。領事は外交官であると同時に、もう少し医療・衛生について、智識を働かせなくては駄目だ。

ハワイ丸に発病後、マニラでのコレラの流行を報告してきたということは、いかにも我が国の外交官の無能、無智がうかがわれるではないか。もし、領事が適切に警告していたら、今回の惨状も未然に防げたかもしれない。

しかし、今回のコレラはそこまで心配することはないと思う。当局が適当な予防策を誤らなければ、都会には浄水設備があるから、流行を防ぐことは容易ではないか。

その他の出来事

【地方】
宮城県石巻で「川開き祭り」が開催される。
北上川を改修し、石巻港を開いた川村孫兵衛に対する感謝祭として。
参考サイト:bonipin

【第一次世界大戦】
中立国ルーマニアとロシアが政治・軍事協定調印。ルーマニアに、オーストリア領のトランシルヴァニア・ブゴビナを保障する内容。

1916年(大正5年)8月19日

鄭家屯事件 詳報

鄭家屯事件での被害邦人が、事件の原因について語りました。

13日午後、日本人が経営する薬種店の店員吉本喜代吉が、中国軍の司令部付近を通行中、一人の中国兵とぶつかりました。

押し問答の末、中国兵数名が現れ乱打され、大小八か所の傷を負わされました。よって同人は領事館付の巡査の出張を求めたものです。

巡査にも危害を加えようとしたため、巡査は軍隊の応援を要請。

日本軍は極めて平穏に、殴打理由を聞こうとしたところ、中国側から発砲したため、日本も自衛上応戦したもので、中国側に非があることは疑いもありません。

ただ、英字新聞等は中国側の報道を鵜のみにして、日本側に非があるように報道しています。

なおイギリスの奉天領事も、事件の真相を調査しはじめました。

その他の出来事

【産業】
名古屋電燈(福沢桃介社長)が製鋼部を分離、電気製鋼所を設立。(余剰電力を活用)

【地方】
旭川弁護士会が設立される
参考サイト: 旭川弁護士会

【中国】
日本と中華民国間に宗社党軍隊解散協定が成立

1916年(大正5年)8月20日

工場法施行に関する事例

9月1日から施行される予定の工場法に関して、一つの悲劇がありました。

小石川の印刷工場の職工が語る

自分は長年この工場に勤めているが、今回、健康診断を受けて肺に疾患があるということで、今月限りで解雇されることになった。これは自分だけじゃなく、20人も解雇されるものがある。

これらは皆、独身者ではなく、70%は妻子ある身で、一日中汗水流して働いても、決して人並みの生活はできない。まして、今月限り解雇されるということでは、一家がたちまちその日の暮らしに差し支えるようになる。

実は工場法案が発表された時は、大変働きやすくなると、一同、心から喜んでいたのだが、こういうことになっては、この先どうやって生活していけば良いか、分からなくなってしまった。

工場に勤めている者は、子どもの頃からその仕事ばかりを教えられてきたために、他には何の知識も持っていない。

前清の皇室が宗社党との関係を否定

前清の皇室は、家族会議の結果、現在蜂起している宋社党とは何等の関係がない旨の声明を発表しました。
また、宣統帝の名で各地の宗社党に対し、解散すべき旨の文書を出すことが決議されています。

蒙古軍と官軍の衝突

15日に蒙古軍により占領された郭家店において、中国軍(張作霖軍)と蒙古軍の衝突がありました。

中国軍は約600、蒙古軍の方が優勢に戦いを進めています。

第二回全国中学校優勝野球大会は慶應普通部が優勝

大阪朝日新聞社主催の、第二回全国中学校優勝野球大会の決勝戦が、豊中球場で行われました。

摂津の市岡中学対慶応普通部の対戦で、市岡中学には早稲田出身のコーチがおり、準早慶戦との見方もあります。

午後2時10分に開会、6-2で慶応普通部が優勝を果たしました。

その他の出来事

【文化】
・津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の第一巻が刊行。
・徳島俘虜収容所で、ドイツ人捕虜によりベートーヴェンの第九、第四楽章が日本で初めて演奏される。
参考サイト:徳島収容所

1916年(大正5年)8月21日

鄭家屯事件続報

北京政府の動向

19日、奉天将軍張作霖から、段祺瑞国務総理宛ての鄭家屯事件に関する電報が届きました。

北京政府では、外交部2名、陸軍部より1名を鄭家屯に派遣し、事実の調査を行うことになっています。

政府としては、問題を地方問題とし、国際紛争としないことを希望し、ある程度まで日本の要求を受け入れる構えです。

日本国内の世論

鄭家屯事件に関する当局の処置が緩慢であるため、中国では日本に対する軽侮の念が増長している。

責任者である二十八師団長に、事件の取り調べをさせるなどということは、なんら誠意を認めることができない。

外交交渉が開始されるより前に、満州の同胞は中国軍を懲らしめることを希望している。鄭家屯で、日本人が侮蔑されたのは、今回が初めてではなく、三回目である。

張作霖も日本の弱腰を見透かしたのか、奉天総領事に送るべき正式な謝罪使さえ、まだ送ってきていない。これは、事実をごまかそうとしているのではないか。

北京政府では、南方派を中心に張作霖を奉天から移動させる運動があり、北京政府に対しても、張作霖は事件を軽くする必要性がある。

東京市電車問題に関し、市の電気局長が語る

割引期間の復旧は、現在のところでは行うことはできない。

なぜなら、今回の値上げ実行と割引期間の短縮は、新路線の開通、車台の改良その他の費用に充てる計画だから、まだ値上げ実施後2か月にもならず、予定通りの収益があるかどうかも分からないうちに、割引の復旧などできるはずがない。

少なくとも今後1年を経て、1年の予定収入額を達成して、それ以上の増収があれば復旧することもできるだろうが、現段階では復旧は到底望むことはできない。

女学生の回数券については、姓名が表面に表れるからで、これは近く裏面に記載するよう、訂正する予定である。

それから市街の衛生上で希望されている散水電車だが、現時点では実行不可能であることが分かった。

それは日本橋、永代橋、両国橋を始めとした橋梁が、散水電車の重量に耐えられないからである。散水電車は15トンで、日本橋でも13トンまでしか耐えられないので、これは橋が改造されない限りは、散水電車の運転はできない。

関連記事:8月12日 奥田義人 東京市長の談話

その他の出来事

【外交】
アメリカ大使が、日露協約に関して、中国の独立・領土保全・機会均等について石井菊次郎外相に申し入れ

【文化】
夏目漱石が、芥川龍之介、久米正雄宛てに手紙を書く
参考サイト:夏目漱石の手紙

この週に誕生日を迎えた人々

倉富 勇三郎宮内省63
レイモン・ポアンカレフランス大統領56
長岡 半太郎東京帝国大学理科教授51
池田 成彬三井銀行常務取締役49
ココ・シャネルファッションデザイナー33
三木 武吉衆議院落選中32
マーカス・ガーベイニューヨークで黒人職業教育29
トーマス・エドワード・ロレンスカイロ陸軍情報局28
石井 光次郎警視庁職員27
五島 昇五島慶太の長男として誕生0

編集後記

今週は、満州で発生した鄭家屯事件に関する報道が中心です。

日露戦争、二十一か条要求、日露協商と、着々と満州に対する権益を日本が獲得しており、それに伴って満州在住の日本人も増えていっています。

現地の中国人との軋轢も増えてきており、自然発生的に勃発した事件ともいえます。

新聞の論調も、日本自ら警察権を、日本が侮られないよう、という論調ですね。
実際に死者も出ていますので、こういう論調になることは、理解できます。

張作霖は、蒙古軍にも対応しないといけないし、日本軍とはこのような事件が起こるし、一大ピンチの状況です。

まだ表面には表れていませんが、中立国ルーマニアが、連合国側に立って参戦することになっています。

6月4日から開始されたブルシーロフ攻勢でロシア軍が戦果をおさめ、東部戦線で連合国が盛り返してきている状況を見ての参戦です。

ブルガリアは昨年、同盟国側に立って参戦しているので、後はギリシャの去就が未定になっています。(ギリシャは、同盟国側の国王と、連合国側のヴェニゼロス前首相派が主導権争いをしている状態)


いろいろゴタゴタした週ですgあ、夏目漱石が芥川龍之介に宛てた手紙が、ちょっとした明るいニュースです。
リンクをかけている手紙文も、味わい深いものがあります。

では、今週は以上です。


索引語:フランス インド 中国 健康・医療 地方 文化 満州 産業 第一次世界大戦 航空 訃報 鉄道 陸軍

Posted by 主筆 at 2016/08/22/15:42

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