百年前新聞

2018-04-25

百年前新聞とは?

岸一太氏の離婚訴訟

大正4年11月22日

岸氏作成のつるぎ号


岸一太氏は、医師から飛行機技師に転向し、「つるぎ号」を製作した人として名前が残っていますが、彼の離婚訴訟について、大正4年11月の読売新聞に連載が掲載されていましたので、記録として残しておきます。

(上記写真は、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲さんよりお借りしました)

馴れ初めからドイツに帰るまで

医学博士岸一太氏は、ドイツ留学中にゼルマさんと出会い、岸氏が心を込めて求婚し、結婚することになりました。

岸氏は前妻との間に子供があることを、ゼルマ夫人に隠していました。
その内に夫人に発覚し、岸氏は「隠したのはあなたを愛するあまりだ」と答えています。

まもなく長男一麿が生まれましたが、夫妻は長男をドイツに残したまま、台湾に赴任することになりました。

岸氏は台湾で奉職中、当時の民政長官後藤新平に気に入られています。

その内に岸氏の愛情は冷め、岸氏はゼルマ夫人に離婚を迫ります。

ついに明治44年、岸氏は、

「ドイツに残しておいた一麿を教育するため、またお前がいれば十分な立身出世を妨げられる点があるから、ひとまずドイツに帰れ。こちらからは子供の養育費と生活費は必ず送る。」

と、公証人を立てて、

「ゼルマはドイツに帰って、子供の教育に従事すること。その費用として、岸一太は毎月30円を子供の養育費、100円を夫人の生活費として終生送ること。送金は毎月5日とする。その義務を怠れば、直ちに強制執行しても意義なし。
一太の収入が400円/月に達すれば、仕送りを120円とし、700円に達すれば130円とする。
ゼルマは6月9日に、日本を出発せねばならぬ。」

という文書を作り、夫人をドイツに追い返しました。

溜まりかねた夫人は、博士の旧師である金杉博士(*金杉英五郎、慈恵医大初代学長)に事情を訴え、金杉博士は後藤男爵や岸博士の態度を非難し、岸博士に忠告の手紙を出しました。

それもむなしく、契約通り6月9日、夫人は懐妊の身でドイツに旅立ちました。

ドイツ帰国後

ドイツに帰った夫人は、次男かづ太を出産。
一麿とかづ太の養育を行なっていて、岸氏も約束通りのお金を送金してきて、そのうち生活費を30円増額してきました。

ところが約1年を経過した大正元年10月に、博士からの送金が途絶えます。音信も取れなくなりました。

そしてその12月に、博士から離婚の訴訟があり、公示送達によって答弁の機会もなく、離婚の判決が下されてしまいました。

博士は判決が確定されると、新たに妻を迎え、ゼルマ夫人からの手紙に対して、何の返事もよこしません。

夫人はとうとう大正2年の7月、日本に戻り、執達吏に依頼して、滞納の生活費を強制執行します。
博士は直ちに異議の訴訟を起こし、この問題が表沙汰になりました。

裁判の争点

岸博士の主張

ゼルマは長男一麿を養育せず、他人に与えるとか売ったという噂があり、契約を誠実に履行していなかった。
よって契約を解除し、離婚訴訟を起こしたのである。
裁判が確定したため、証書に記載されている義務は消滅している。

ゼルマ夫人の主張

原告岸一太の主張は、不実、不法なものである。
契約を解除されたこともなく、一麿の教育も怠らず行なっていた。

原告が使用したドイツの探偵は、ドイツでは悪名高い探偵社で、全く信用の価値はない。

離婚訴訟は、ゼルマの不在に乗じた公示送達の方法で行われ、ゼルマは答弁の機会を得ず、形式上離婚された形になっているが、この判決を知り東京控訴院に控訴中である。
よって裁判は継続中で、離婚は確定していない。

これ以外にもドイツに帰って次男を生んでおり、それは岸も認め、岸の戸籍に登録してあるが、この次男に対する養育料は一銭も送っていない。

連載のまとめ

「この事件を皆さんはどう見るでしょうか、社会の判断を仰ぎます。」と、記事は結ばれています。

飛行機製作にお金が必要だったのか、医師会からの転身に、何か関係があるかもしれません。


索引語:司法 社会 人生

Posted by 主筆 at 2015/11/22/16:37

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